2013年9月23日月曜日

アイルランド・石に刻まれた記憶

昨日は久留里ミュージアムへ、楽しみにしていた展示を見にいった。

先史時代からのアイルランドの巨石に刻まれた彫刻の拓本展。3000年ほど前の古いものには、渦巻や直線が組み合わさった土着的な図柄がみられた。その形は縄文土器や、アイヌの刺繍、ハワイのオヘカパラや、唐草模様にも似ていた。図柄は躍動に満ちていて、特に渦巻きや、葉っぱの細胞のような図柄は、粘り気のある生き物のように動いて見え、心拍数が上がるような気分がした。大きなものは横4メーター、縦1.5メーターほどのものがあって壮観だった。

土着的な図柄をベースに年代に伴って、バイキングやキリスト教文化の図柄も混ざっていく。どれも美しかった。

今朝、仕事中に勝浦の信号待ちで海に台風のウネリが届きはじめているのが見えた。きれいな波頭は生きものみたいだった。

2013年9月22日日曜日

八月のおわりに千葉市へ行った。

先月末に藤森照信さんの講演を聞いてきた。館山市役所の掲示板で講演のチラシを見つけてから、一ヶ月ほど多忙な夏の終わりにと楽しみにしていた。
二本の細い木で支えられた愛用の茶室は、人が乗るとしばらくグラーっとゆれるらしい。静かにしているとやがて止まるんだとか。今のところ、経験上4人までは入れるが、強度計算もしてないと言っていた。その時の表情は、講演の中でも特に嬉しそうに見えた。

僕は建築をやる方の話を聞くのが好き。裾野の広い分野から、必要な物事をあれこれやって、一つの建物に落しこむための能力や感性に憧れる。

講演の後は、「風立ちぬ」を見に行った。人は時代に翻弄されるだけのものじゃないと思いたい。特に戦争という潮流の中においては。

このところは、90年くらい前と今が両端から押されるように近づいて、それが現在と符合を持ちながら並走しはじめた感じがしてならない。日々の景色も、感じる風も、道端の発見も、時を超えてたくさんのものとつながりをなす一部に見える。





2013年9月4日水曜日

2013年8月31日土曜日

ツバメ

木綿のハンカチーフは、いい曲だと思う。僕の生まれるまえのヒットソングだろうけれど、近い世代でも好きだという人もいる。あれはきっと、時はすぎても「都会」と「此処」と「はなればれ」みたいなテーマや経験をもつ人が多いからだろう。

僕の中では、離れた場所を思うという意味では山﨑まさよしの「ツバメ」という曲の方が好きだ。学生の一人暮らしをはじめたあたりから、生活のなかや実家に戻った時に前の浜でよく聞いたり口ずさんだり爪弾いたりした。
その後何年かしてスペインを旅行した時、海辺のミハスという町でバスを降りて泊まった。夕方に浜辺で横になって水平線を眺めていたら、自然とツバメを口ずさんでいたことがある。
ツバメの歌詞は「霞のむこうに新宿が見える」からはじまる。

2013年8月11日日曜日

夏の傍観

ここ数年は夏の大型連休は、仕事の最盛期を過ごしている。

花火をする若者が賑わう海岸をひとり歩いてきて、腰をおろしたのは外れの川べり。

川の向こう岸には、合宿にきたと思しき高校生くらいの団体がバットを素振りしたり四股をふんだりしている。リゾートムードの演出をねらう景観整備の思惑がすべっているようで、愉快。



2013年7月22日月曜日

カフェのギター

館山の海岸通り沿いにあるカフェに、僕のギターが置いてある。2年程前にいつものようにお茶を飲みに行った時に、音楽好きな店主との話の中で、お客さんにも楽器を触る人がいるだろうと思って置いてきた。 と言っても理由はそれがすべてじゃなくて、当時新しいギターを買ったので、使わないで部屋に寝かせておくのが可哀想だったというのもあった。
実をいうと、カフェのギターは高校の頃、使われていない部室で発見した。その部屋はかつて存在したギター部の部屋だった。あつい埃を被ったギターケースの中にあって、ボディの内部が一箇所剥がれていた。壊れたギターを部員が置いて卒業したのだろう。家に持って帰って、ペグを付け替え。ボディの内側はボンドで直して使いはじめた。

先週の休みに仕事の待ち合わせで久しぶりにその店に行った。開店すこし前に着いたので店内に入れてもらい、話をしながらギターを触った。たまに使うお客さんもいるようだが、弦はけっこう錆びていた。

チューニングがまばらに低くなっていたので、オープンGにして開店時間までの少しの間弾いた。窓を開けっ放しにしていたので、店内に心地よい風が通った。オープンGの音色がやけに似合っていた。

2013年7月10日水曜日