2010年11月20日土曜日

町のまんなか



山を降りて向かったのは、黒磯の町。
当初の目的地である町のカフェや、古道具、服屋、本屋、ギャラリー、、
と、予てからのリストも楽しく回りましたが、それ以外に旅の途中で目的地に加わった、餃子「たから」というおばちゃんが一人でやっている素敵な店がありました。

この店は、前日の夜バールトタンでマスターから教えてもらったのです。

僕らはカウンターで田舎の町や、そこに暮らすことなんかを話していました。話の間で黒磯の町の持つ、カフェとは違った一面を知りたくなった僕は「昔からやっている、町の食堂みたいな、この町の普段着の人が行くようなお店ってないですか?」なんてことを聞いたところ、「餃子は絶品で、食べた後つい食器を片付けたくなるいいお店だよ。」と教えてくれたのが「たから」でした。

機会があれば実際に行ってみてほしいので細かくは書きませんが、シャキッとしたおばちゃんがパリッと焼く餃子はほんとにうまい! 

印象的だったのが、餃子をつくるおばちゃんと地元のお客さんがしていた「この天気じゃ上のほうはシグレてるねぇ」という会話。僕らは山の帰りだったのでしっくり来ましたが、どうやらこの町の人たちは標高の高いほうを「上」、町のほうを「下」と呼んでいるようです。町の普段着な会話や餃子のスープとともに気分も温まる感じがしました。

やはり「現地調達」は、旅を何倍も楽しくしてくれますね!

ps.マスター、例の頼み方で注文して、ついつい食器を片付けて来ましたよ。教えてくれてありがとうございました!また、遊びに行きまぁす。

2010年11月17日水曜日

那須の山で思ったこと。



房総は葉が色づき始めた頃ですが、先週末に訪れた黒磯や那須のそれは、ほぼ終わりの頃でした。
僕にとって黒磯と那須は訪れるたびに新しいことの起こる不思議で心地の良い場所です。

今回はいつものように好きなカフェや人に会いに行く以外に山方面に足を伸ばしました。
街道を登り、町を一望できるあたりよりさらに上、人気がなくなり、澄んだ空気がさらに透明になり始めるあたりで車を降りました。

ほんの少し降り始めた雪と、大きな山の所々に残る色づいた葉っぱの光景がずいぶんと美しく感じ、もしここに住むとしたら、あるいは生まれたとしたら、きっと海で気分をリセットするように、このあたりにきっと来るにちがいないな。なんて事をおもいました。

少し下った街道沿いにある山のカフェで頼んだ森のブレンドを飲みながら、さっきの場所で降った雪や雨も、コーヒーのように、たくさんの落ち葉に浸透しその養分が川となって麓の町にドリップされていく。と思うと、さらに下って町へ行くのが楽しみになりました。

2010年11月3日水曜日




学生の頃埼玉に住んでいた僕は、たまに実家に帰ってきては夕方になると浜で夕やけを見ていた。

オレンジの西日が部屋に入り始めた頃にドアを開け、すぐ前の浜に着くとたいてい先客が一人だけいた。

当時彼は、沖に伸びる埋め立て地の一番海に突き出た角っこに佇んでいて、僕の目線より高い場所から夕焼けを見ていた。僕もそこから夕焼けを見たことがある、あそこは誰もいない最高の場所だった。

鳥の気持ちはわからないけど、彼は何十分もずっと夕焼けのほうに向いて動かない。餌を探していたりする様子もないし、何かを待っている感じでもない。だから、彼も同じ理由だな。ということで親しみを込めて彼の後姿と夕焼けを眺めるのがたのしみだった。

ちょっと前に埋立地に施設ができてからは彼の姿はいつもの場所になく、少し心配していた時期もあった。
だけど、彼は今も別のところで夕焼けを見ている。人気のいない岩場で。

前と比べたら、僕と近しい目線の高さになった。今日は久しぶりに浜に行く予定なので多分彼と会うかな。
彼のうちは僕のうちの裏山にある。

2010年10月15日金曜日

何気ない横顔



アコとニールは僕ら夫婦と仲よくしている、フォトグラファーとガーデナーの夫婦だ。

僕ら夫婦は先日鴨川でハウスシッターをしていたので、その何日間かを一緒に暮らした。
夕飯を作り、「頂きます」の前にニールが机に置いたのは、草の入ったフィルムケースだった。

緑を入れるのに丁度よいサイズが、たまたまフィルムケースだったのだろうけど、僕はこのテーブルに置かれた緑が二人の夫婦の横顔を静かに表していたように見えて、嬉しくなった。

ある日の様子1

ある日の様子2

2010年10月10日日曜日

田舎のサブカルチャー




高校の頃、帰りの電車で一緒だった同級生の友人が、駅の待合小屋にあったくだらないシモネタの落書きを見て、「こういうのを文化財にしたらいいのに。」と冗談を言ったのをたまに思い出すことがあります。

きっとこの手の落書きは、全国津々浦々にあると思います。この手の落書きはいずれ消される、切なくはかない運命です。一人書くとつられてまた増えて、相合傘や文句、あるいは少年の夢や誓いみたいなものも、付足されていき、収拾つかなくなるときれいにペンキで上塗りされます。

きっとこの緩やかなせめぎあいは、今も続いているでしょう。
駅の待合所、そこは田舎のアンダーグランウンドな胎動が聞こえる数少ない素敵な場所だと思います。
旅先で入るとまた趣があります。
写真は保田駅。

2010年9月27日月曜日

田中一村展にて 入日の浮島



昨日、一村の作品を観に行ってきました。
夏に美術館の前を通り、はじめてポスターにされた代表作「アダンの海辺」を見た時に、この絵は今どこにも存在していなくてこの先の未来に描かれるような錯覚に似た印象を受けました。それ以来気になって仕方がなかったのです。

一村の作品群を観て、僕の受けた印象がなんとなくわかった気がしました。
彼は独自の自然観によってとらえた身近にあるけしきを、じっくり見て描いていた人なんだと思いました。千葉に暮らした時は、近くの農村風景やどこにでもあるソテツの木を描き、奄美にはなぜ渡ったかはわかりませんが、そこでも身近なけしきを捉えていたのだと思います。多分、僕が受けた最初に書いたような印象は、彼の持つ自然観によるものかなと思いました。

「アダンの海辺」に添えられた直筆の文には
「アダンは亜熱帯の海浜植物 実は熟すれば芳香なれど 人間の食用となる部分は希少 野鳥の餌となるだけ」と書いてありました。エゴがなく、ただただ自然のいとなみを見ていた姿勢が伝わってきます。きっとこの姿勢が絵に自然そのものを宿し、古さ感じさせるものを無くしているんだろうと思うのです。

それから、驚いたことに展示されていた一枚の作品「入日の浮島」は僕の実家の近くでかかれたものでした。
中高時代、ほぼ毎日通った海岸なのできっとあそこに座ったんだなとピンと察しが着きました。一村がじっくり見た景色を僕はほぼ毎日見てたんだ!と思うと嬉しくなりました。一村をみならって身近な風景を丁寧に見ていこうと思っています。
(写真は別の場所から撮ったものです)

2010年9月19日日曜日

Nさんのうちわ



今日は鴨川に知人の仲間が子どもたちも含めて10人以上集まり、山あいの3箇所の畑でなす、トマト、オクラ、ピーマン、ナス、バジル、、などを採り、夕方からNさん宅の庭先にあるアースオーブンでピザを作ってみんなで食べた。

Nさんは移住して20年以上で、洋服などを作っている女性の方。そのセンスはきれいな新築の建物とその間取りや、家の中にそろっているあらゆるものに宿っているようで、暮らしと繋がった「ぶれのない感性」みたいなのを感じた。

余談だけれど、僕の思ういい会社やお店(とくにカフェ)にある特有の「どこを切り取っても出る素敵感」みたいなのはこういうぶれのない感性から生まれると思う。

バーベキューの火起こしにお借りした房州うちわ。フチも剥がれるほど使い込まれている佇まいがとても暮らしや住まいに馴染んでいる気がした。