2010年9月27日月曜日

田中一村展にて 入日の浮島



昨日、一村の作品を観に行ってきました。
夏に美術館の前を通り、はじめてポスターにされた代表作「アダンの海辺」を見た時に、この絵は今どこにも存在していなくてこの先の未来に描かれるような錯覚に似た印象を受けました。それ以来気になって仕方がなかったのです。

一村の作品群を観て、僕の受けた印象がなんとなくわかった気がしました。
彼は独自の自然観によってとらえた身近にあるけしきを、じっくり見て描いていた人なんだと思いました。千葉に暮らした時は、近くの農村風景やどこにでもあるソテツの木を描き、奄美にはなぜ渡ったかはわかりませんが、そこでも身近なけしきを捉えていたのだと思います。多分、僕が受けた最初に書いたような印象は、彼の持つ自然観によるものかなと思いました。

「アダンの海辺」に添えられた直筆の文には
「アダンは亜熱帯の海浜植物 実は熟すれば芳香なれど 人間の食用となる部分は希少 野鳥の餌となるだけ」と書いてありました。エゴがなく、ただただ自然のいとなみを見ていた姿勢が伝わってきます。きっとこの姿勢が絵に自然そのものを宿し、古さ感じさせるものを無くしているんだろうと思うのです。

それから、驚いたことに展示されていた一枚の作品「入日の浮島」は僕の実家の近くでかかれたものでした。
中高時代、ほぼ毎日通った海岸なのできっとあそこに座ったんだなとピンと察しが着きました。一村がじっくり見た景色を僕はほぼ毎日見てたんだ!と思うと嬉しくなりました。一村をみならって身近な風景を丁寧に見ていこうと思っています。
(写真は別の場所から撮ったものです)

2010年9月19日日曜日

Nさんのうちわ



今日は鴨川に知人の仲間が子どもたちも含めて10人以上集まり、山あいの3箇所の畑でなす、トマト、オクラ、ピーマン、ナス、バジル、、などを採り、夕方からNさん宅の庭先にあるアースオーブンでピザを作ってみんなで食べた。

Nさんは移住して20年以上で、洋服などを作っている女性の方。そのセンスはきれいな新築の建物とその間取りや、家の中にそろっているあらゆるものに宿っているようで、暮らしと繋がった「ぶれのない感性」みたいなのを感じた。

余談だけれど、僕の思ういい会社やお店(とくにカフェ)にある特有の「どこを切り取っても出る素敵感」みたいなのはこういうぶれのない感性から生まれると思う。

バーベキューの火起こしにお借りした房州うちわ。フチも剥がれるほど使い込まれている佇まいがとても暮らしや住まいに馴染んでいる気がした。

2010年9月13日月曜日

小さな駅、にったの



 「長い旅行に必要なのは大きなカバンじゃなく、口ずさめる一つの歌さ」スナフキン

先日、いすみ鉄道の小さな駅「にったの」に行ってきました。無人駅の短いホームには、塗装のはがれそうな駅名の看板、ほうきとちり取りがありました。ひとたび降りたら一時間くらいは次の電車を持つしかない路線。車を降りてホームにいると列車がやってきました。この言葉は列車が去るときにスナフキンが言っていたような気になります。いすみ鉄道、ゆっくりしたい時に乗ってみるのもいいかもしれません。ホームには、稲のいい香りがしていました。

2010年9月4日土曜日

いい小屋見っけ



小屋の持つ魅力について描かれた本や特集を目にすることがあります。
それだけ小屋は人の心をつかむのでしょう。僕も道端の手作り小屋にはつい反応してしまう癖があります。

きっかけは実家の近くにかつてあった木造の花の出荷小屋だろうと思います。
幼い頃に朽ちてつぶれてしまいましたが、そのボロボロの小さい空間に屋根板の間から差し込む光が好きでした。

最近出会い、一目見惚れしたこの小屋、まるでカップマルタンの休憩小屋のよう。
千葉市郊外にポツンと建っています。

ご主人を見かけたことはありませんが、どんな人なのかな?とか、まさかカップマルタンをイメージしてないよな?とかこの素材感の調和は選ばれたのかな?など想像が膨らみます。
いずれにしても小屋の魅力は「ブリコラージュ」と「偶然美」かなと思っています。