2013年6月29日土曜日

どこからきてなにをする

仕事帰りに車を走らせている時、洗面所で手を洗っている時、靴のつま先をトンとやりながら玄関をでた時、生活のふとした時に頭によぎるものがある。「僕はこの房総半島に何をしにきたのだろう。」

幼い頃から付き合っているぜんそくは、その発作は僕にとって厄介なものである一方で、連れ合いとしては実は気に入ってもいる。周囲の微かな変化を察知しようとする癖のようなものや、ちょっとした思慮については、ぜんそくがあったことで形成されてきた部分が多いように思う。言葉にするなら「おかげさま」というものに近い。

昨年、同じ町のとある80代の古老の御宅におじゃまして数時間昔話を聞かせていただいたことがあった。地域の古いことを人一倍大切にするお方だった。「むかしはよぉ、肺病の、ひとがよくきてたんだよぉ。環境がいったんだっぺねぇ。」

都会と自然、社会と心身、ここ最近はぜんそくと、あらためて付き合う方向が見えてきた、たまに出る咳もなかなかわるくない。