2013年12月11日水曜日

軽井沢へ

10月のはじめ、
アシュランドへ発つ前のアコ&ニールと待ち合わせて、軽井沢に小旅行。






  

 



ここから下はアコが撮ってくれた写真。アリガト!
















今度は子連れで会うのが楽しみだね!

2013年11月9日土曜日

2013年10月24日木曜日

布団





2013年9月23日月曜日

アイルランド・石に刻まれた記憶

昨日は久留里ミュージアムへ、楽しみにしていた展示を見にいった。

先史時代からのアイルランドの巨石に刻まれた彫刻の拓本展。3000年ほど前の古いものには、渦巻や直線が組み合わさった土着的な図柄がみられた。その形は縄文土器や、アイヌの刺繍、ハワイのオヘカパラや、唐草模様にも似ていた。図柄は躍動に満ちていて、特に渦巻きや、葉っぱの細胞のような図柄は、粘り気のある生き物のように動いて見え、心拍数が上がるような気分がした。大きなものは横4メーター、縦1.5メーターほどのものがあって壮観だった。

土着的な図柄をベースに年代に伴って、バイキングやキリスト教文化の図柄も混ざっていく。どれも美しかった。

今朝、仕事中に勝浦の信号待ちで海に台風のウネリが届きはじめているのが見えた。きれいな波頭は生きものみたいだった。

2013年9月22日日曜日

八月のおわりに千葉市へ行った。

先月末に藤森照信さんの講演を聞いてきた。館山市役所の掲示板で講演のチラシを見つけてから、一ヶ月ほど多忙な夏の終わりにと楽しみにしていた。
二本の細い木で支えられた愛用の茶室は、人が乗るとしばらくグラーっとゆれるらしい。静かにしているとやがて止まるんだとか。今のところ、経験上4人までは入れるが、強度計算もしてないと言っていた。その時の表情は、講演の中でも特に嬉しそうに見えた。

僕は建築をやる方の話を聞くのが好き。裾野の広い分野から、必要な物事をあれこれやって、一つの建物に落しこむための能力や感性に憧れる。

講演の後は、「風立ちぬ」を見に行った。人は時代に翻弄されるだけのものじゃないと思いたい。特に戦争という潮流の中においては。

このところは、90年くらい前と今が両端から押されるように近づいて、それが現在と符合を持ちながら並走しはじめた感じがしてならない。日々の景色も、感じる風も、道端の発見も、時を超えてたくさんのものとつながりをなす一部に見える。





2013年9月4日水曜日

2013年8月31日土曜日

ツバメ

木綿のハンカチーフは、いい曲だと思う。僕の生まれるまえのヒットソングだろうけれど、近い世代でも好きだという人もいる。あれはきっと、時はすぎても「都会」と「此処」と「はなればれ」みたいなテーマや経験をもつ人が多いからだろう。

僕の中では、離れた場所を思うという意味では山﨑まさよしの「ツバメ」という曲の方が好きだ。学生の一人暮らしをはじめたあたりから、生活のなかや実家に戻った時に前の浜でよく聞いたり口ずさんだり爪弾いたりした。
その後何年かしてスペインを旅行した時、海辺のミハスという町でバスを降りて泊まった。夕方に浜辺で横になって水平線を眺めていたら、自然とツバメを口ずさんでいたことがある。
ツバメの歌詞は「霞のむこうに新宿が見える」からはじまる。

2013年8月11日日曜日

夏の傍観

ここ数年は夏の大型連休は、仕事の最盛期を過ごしている。

花火をする若者が賑わう海岸をひとり歩いてきて、腰をおろしたのは外れの川べり。

川の向こう岸には、合宿にきたと思しき高校生くらいの団体がバットを素振りしたり四股をふんだりしている。リゾートムードの演出をねらう景観整備の思惑がすべっているようで、愉快。



2013年7月22日月曜日

カフェのギター

館山の海岸通り沿いにあるカフェに、僕のギターが置いてある。2年程前にいつものようにお茶を飲みに行った時に、音楽好きな店主との話の中で、お客さんにも楽器を触る人がいるだろうと思って置いてきた。 と言っても理由はそれがすべてじゃなくて、当時新しいギターを買ったので、使わないで部屋に寝かせておくのが可哀想だったというのもあった。
実をいうと、カフェのギターは高校の頃、使われていない部室で発見した。その部屋はかつて存在したギター部の部屋だった。あつい埃を被ったギターケースの中にあって、ボディの内部が一箇所剥がれていた。壊れたギターを部員が置いて卒業したのだろう。家に持って帰って、ペグを付け替え。ボディの内側はボンドで直して使いはじめた。

先週の休みに仕事の待ち合わせで久しぶりにその店に行った。開店すこし前に着いたので店内に入れてもらい、話をしながらギターを触った。たまに使うお客さんもいるようだが、弦はけっこう錆びていた。

チューニングがまばらに低くなっていたので、オープンGにして開店時間までの少しの間弾いた。窓を開けっ放しにしていたので、店内に心地よい風が通った。オープンGの音色がやけに似合っていた。

2013年7月10日水曜日

2013年6月29日土曜日

どこからきてなにをする

仕事帰りに車を走らせている時、洗面所で手を洗っている時、靴のつま先をトンとやりながら玄関をでた時、生活のふとした時に頭によぎるものがある。「僕はこの房総半島に何をしにきたのだろう。」

幼い頃から付き合っているぜんそくは、その発作は僕にとって厄介なものである一方で、連れ合いとしては実は気に入ってもいる。周囲の微かな変化を察知しようとする癖のようなものや、ちょっとした思慮については、ぜんそくがあったことで形成されてきた部分が多いように思う。言葉にするなら「おかげさま」というものに近い。

昨年、同じ町のとある80代の古老の御宅におじゃまして数時間昔話を聞かせていただいたことがあった。地域の古いことを人一倍大切にするお方だった。「むかしはよぉ、肺病の、ひとがよくきてたんだよぉ。環境がいったんだっぺねぇ。」

都会と自然、社会と心身、ここ最近はぜんそくと、あらためて付き合う方向が見えてきた、たまに出る咳もなかなかわるくない。




2013年6月24日月曜日

島の松

昨日東京からの友人と家の近くを歩いていた。亀島の松枯れは数年来気になっていたこと、島の前まで来てそのことを話そうとしたら、橋の向うに真新しい竹の添え木のようなものが等間隔に見えた。柵をこえて近寄ると、松の苗木が植えられていた。先年、気休め程度にこの島に炭を持ってきて、個人的に松のまわりに埋めた事があった。

あの植樹は誰がやったのだろう。区の土地である立ち入り禁止と書かれた島に、どんな経緯で実現したのだろう。膝に満たない程度の低い苗木の前で感謝と同時に成長を願った。

鋸山散策

東京より連休を取って親しい友人がきてくれた。語らいながら鋸山を歩いた。








ひとりで来ていたと思しき男性。僕らがここを去るまでずっと眼下の山脈を眺めていた。





観自在観自在。。


学生時代に上京中に知り合った彼とは、学校が同じ住んでいたアパートも近かった。自転車で行き来してはお互いの家や居酒屋など気楽に「今日、どう?」って具合によく時間を過ごしていた。数年ぶりにあったけれど、変わってないね。自然とお互い語りだす感じが。

2013年6月2日日曜日

道中と水場

今は車を買いにひとりで茂原へ向かっている途中。鴨川や勝浦は観光イベントで街中が混んでいるだろうから、久しぶりに半島の山中を通ってきています。茂原まではあと一時間。 久留里の駅前でひと休みしています。
久留里は自由に湧き水を汲めるよう整えてくれている場所をよくみかけ、ありがたく感じます。

館山から何も飲んでいなかったので、車から瓶を出して水を汲んで飲んでます。座っているベンチの隣には水汲み場があって、2.3組みの高齢の夫婦や子連れの若い夫婦が挨拶を交わしながら水を汲んでいます。会話を聞いていると、この方たちはよくここに水を汲みにくるようです。

買い換える車は7年ほどで22万キロほど乗りました。壊れることもなくしっかり動いてくれている愛車です。結婚前にはひとりで思いつく場所にいって後ろをフラットにしてギターを弾いて車中泊などするのが好きでした。その頃を思い出しながら久留里の水をいただいています。あ、風が吹いて雲が晴れてきた。


2013年4月11日木曜日

parasitism

時間のあいた時は、寄生を楽しむチャンス。山や海に入って自分が自然に寄生していることを再認識したり、図書館や食堂に行って、街に寄生したり。

寄生のすすめ。

2013年3月25日月曜日

こどもの宇宙

つい先日の晩、「子どもの宇宙」という本を興味ぶかく読んだ。その本はこんな風にはじまる。
この宇宙のなかに子どもたちがいる。これは誰でも知っている。しかし、ひとりひとりの子どものなかに宇宙があることを、誰もが知っているだろうか。それは無限の広がりと深さをもって存在している。大人たちは、子どもの姿の小ささに惑わされて、ついその広大な宇宙の存在を忘れてしまう。
僕はこの本の内容をしっかりと伝えられるほどの者ではないので、そういったことは書かないが、この本を読んだ翌日にそれまでとは違った見方ができたのが嬉しかった。

仕事の途中、昼時に四街道の牛どん屋に入ったときのこと。入り口の椅子に子どもを二人連れた30代ほどの父親がいた。子どもをつれて持ち帰りの昼飯を買いに来たらしい。一人は1歳くらいでリュックのようなカバーで背負われていて寝ていた。もうひとりはたぶんその子の姉で、5歳くらいに見えた。僕の座ったカウンターの隣には先客の男性がいて、レジのすぐ近くだった。隣の男性は注文が来る前に手洗いか車に行ったようで席を立った。そのあと彼の牛丼が運ばれてきた。食べ手不在の牛丼は湯気をたてて孤独にカウンターに置かれていた。持ち帰りを待つお姉さんはレジの周りで踊るようにして遊んでいたが、途中からカウンターの牛丼に気が付いたようで、踊りながらその近くまで何度かやってきた。そのたび父親は「だめだめ、それはひとのだよ」といって椅子に戻るように促していた。しかし、彼女はふわふわとカウンターの牛丼の近くを踊りながら、隣の席に座るような座らないような雰囲気で漂って居た。

僕が前の晩に本を読んでいなかったら、父親のところに戻った方がいいと思ったかもしれないが、すこしお姉さんの気持ちを考えてみることができた。2歳になるウチの娘でも、本人は言葉をしゃべれなくても親の言っていることは分かっている風だから、5歳くらいならなおさら経験もあるだろうし分かっているだろうと思う。それでも父親の意見に露骨に逆らうでもなく、牛丼に手を出すでもなく漂っている理由はなんだろうか。

結局その子はカウンターの男性が現れる前に持ち帰りができ、父親に連れて行かれたが、帰りがけは心配そうにカウンターを眺めていた。

たぶん、あの子は勝手に誰かがカウンターの牛丼に手をつけないように、見張ってくれていたのではないか。もしかしたら、知らない人が来て、食べてしまったりとか、となりで食べている僕が勝手に2杯目として手をつけないようにとか。いろんな不測の事態を考えていたかもしれない。
その子の帰りがけにはお礼を言うつもりで、明るく手を振ってみた。

2013年2月10日日曜日

落語だよ

先日仕事の取引先が突然の閉店をした。諸事情あってのこと。閉店に伴う処理はそこの店長さんがおこなうこととなったという。この店長さんは、僕は特別いい印象を持っていた。いつも腰が低く、お客さんにもイチ取引先の社員である僕にも快い対応をしてくださった。対応のよさなら、心がけでできるかもしれないが、店長さんは少し違った。前に僕が余ってしまったものをおすそ分けして店を後にすると、わざわざお礼のものを走って僕の車までわたしに来てくれた。とても嬉しかった。

本人にとっても廃業はオーナーからの突然の知らせのことであったという。僕が伺ったのはそれから数日後。いつものように扉を開けるとガランドウになった空間で店長さんは1人床の掃除をしていた。

諸事情は、諸事情。事業運営のやりかたや、商圏の変遷色々あるかもしれない。しかし、世の中の経済はこの20年は誰が見てもシュリンクしていて、この先も疑問であるし、個人的範疇で想像するになかなか厳しい見通しになる。店長さんはお子さんがいるという。世間は変わっても、親は子を育て生活を営んでいく。大変感慨深かった。

個人として生きているんだけど、なんかもう少し、つながっている感覚を持ちたいと思った。
こんな時こそ、落語だよ。きっと。



2013年2月3日日曜日

観察

今日は運転免許の更新に行った。
明日からも安全運転を心がけます。

2013年1月30日水曜日

生活即助走

たとえば、目の前にあるとび箱を飛ぶために、あるいは目の前の砂場をより遠くに飛ぶために、助走をする。これはあらかじめ目の前に何かを設定した時に、開始する助走。

一方で、波乗りの助走はこれとは趣を異にするように感じる。それは、とび箱や砂場とは違って対象そのものがこちらに向ってやってくるからだろう。波にうまく乗るには、パドリングによって瞬間的に自らがその波の速度や斜度に合った状態になる必要がある。その作業が助走にあたるように思う。

前者の助走はこれからの世界、それに対して後者の助走は、これまでの世界が大きな要素を占める。

どちらかと言うと、僕は後者の助走に魅力を感じる性質(タチ)だ。それは、料理でいうところの素材の味を大事にすることや、読書や物事を解釈する上での文脈に気を配ること。地の利を考えること、その土地に重ねられてきた歴史や記憶のようなものの上に未来を作ろうとする姿勢にどこか通じている。

明治時代の児童心理学者・倉橋惣三の「生活を生活で生活へ」という言葉が好きだ。この言葉は、先日0470-の取材で和光保育園に行った際、園長先生が教えてくださった。生活のなかから生まれた問題や出来事を生活の中で解決し、それをまた生活の中に戻し生かして生活そのものをより良くしていくことだと思っている。
それから、武道家の塩田剛三は「歩くこと即武道」と言っていた。

ひょっとしたら、普段の生活そのものが、助走なのではないか。

個人や社会において「これまで」との断絶の無い、より良い未来に向かうにはどうしたらいいのか。

夕方に海岸を歩きながら、ぼんやりそんなことを思った。

2013年1月9日水曜日

カモシー

このあいだカモシーに行ってきました。
両親とわが家でお弁当持って。