2013年3月25日月曜日

こどもの宇宙

つい先日の晩、「子どもの宇宙」という本を興味ぶかく読んだ。その本はこんな風にはじまる。
この宇宙のなかに子どもたちがいる。これは誰でも知っている。しかし、ひとりひとりの子どものなかに宇宙があることを、誰もが知っているだろうか。それは無限の広がりと深さをもって存在している。大人たちは、子どもの姿の小ささに惑わされて、ついその広大な宇宙の存在を忘れてしまう。
僕はこの本の内容をしっかりと伝えられるほどの者ではないので、そういったことは書かないが、この本を読んだ翌日にそれまでとは違った見方ができたのが嬉しかった。

仕事の途中、昼時に四街道の牛どん屋に入ったときのこと。入り口の椅子に子どもを二人連れた30代ほどの父親がいた。子どもをつれて持ち帰りの昼飯を買いに来たらしい。一人は1歳くらいでリュックのようなカバーで背負われていて寝ていた。もうひとりはたぶんその子の姉で、5歳くらいに見えた。僕の座ったカウンターの隣には先客の男性がいて、レジのすぐ近くだった。隣の男性は注文が来る前に手洗いか車に行ったようで席を立った。そのあと彼の牛丼が運ばれてきた。食べ手不在の牛丼は湯気をたてて孤独にカウンターに置かれていた。持ち帰りを待つお姉さんはレジの周りで踊るようにして遊んでいたが、途中からカウンターの牛丼に気が付いたようで、踊りながらその近くまで何度かやってきた。そのたび父親は「だめだめ、それはひとのだよ」といって椅子に戻るように促していた。しかし、彼女はふわふわとカウンターの牛丼の近くを踊りながら、隣の席に座るような座らないような雰囲気で漂って居た。

僕が前の晩に本を読んでいなかったら、父親のところに戻った方がいいと思ったかもしれないが、すこしお姉さんの気持ちを考えてみることができた。2歳になるウチの娘でも、本人は言葉をしゃべれなくても親の言っていることは分かっている風だから、5歳くらいならなおさら経験もあるだろうし分かっているだろうと思う。それでも父親の意見に露骨に逆らうでもなく、牛丼に手を出すでもなく漂っている理由はなんだろうか。

結局その子はカウンターの男性が現れる前に持ち帰りができ、父親に連れて行かれたが、帰りがけは心配そうにカウンターを眺めていた。

たぶん、あの子は勝手に誰かがカウンターの牛丼に手をつけないように、見張ってくれていたのではないか。もしかしたら、知らない人が来て、食べてしまったりとか、となりで食べている僕が勝手に2杯目として手をつけないようにとか。いろんな不測の事態を考えていたかもしれない。
その子の帰りがけにはお礼を言うつもりで、明るく手を振ってみた。