2013年6月29日土曜日

どこからきてなにをする

仕事帰りに車を走らせている時、洗面所で手を洗っている時、靴のつま先をトンとやりながら玄関をでた時、生活のふとした時に頭によぎるものがある。「僕はこの房総半島に何をしにきたのだろう。」

幼い頃から付き合っているぜんそくは、その発作は僕にとって厄介なものである一方で、連れ合いとしては実は気に入ってもいる。周囲の微かな変化を察知しようとする癖のようなものや、ちょっとした思慮については、ぜんそくがあったことで形成されてきた部分が多いように思う。言葉にするなら「おかげさま」というものに近い。

昨年、同じ町のとある80代の古老の御宅におじゃまして数時間昔話を聞かせていただいたことがあった。地域の古いことを人一倍大切にするお方だった。「むかしはよぉ、肺病の、ひとがよくきてたんだよぉ。環境がいったんだっぺねぇ。」

都会と自然、社会と心身、ここ最近はぜんそくと、あらためて付き合う方向が見えてきた、たまに出る咳もなかなかわるくない。




2013年6月24日月曜日

島の松

昨日東京からの友人と家の近くを歩いていた。亀島の松枯れは数年来気になっていたこと、島の前まで来てそのことを話そうとしたら、橋の向うに真新しい竹の添え木のようなものが等間隔に見えた。柵をこえて近寄ると、松の苗木が植えられていた。先年、気休め程度にこの島に炭を持ってきて、個人的に松のまわりに埋めた事があった。

あの植樹は誰がやったのだろう。区の土地である立ち入り禁止と書かれた島に、どんな経緯で実現したのだろう。膝に満たない程度の低い苗木の前で感謝と同時に成長を願った。

鋸山散策

東京より連休を取って親しい友人がきてくれた。語らいながら鋸山を歩いた。








ひとりで来ていたと思しき男性。僕らがここを去るまでずっと眼下の山脈を眺めていた。





観自在観自在。。


学生時代に上京中に知り合った彼とは、学校が同じ住んでいたアパートも近かった。自転車で行き来してはお互いの家や居酒屋など気楽に「今日、どう?」って具合によく時間を過ごしていた。数年ぶりにあったけれど、変わってないね。自然とお互い語りだす感じが。

2013年6月2日日曜日

道中と水場

今は車を買いにひとりで茂原へ向かっている途中。鴨川や勝浦は観光イベントで街中が混んでいるだろうから、久しぶりに半島の山中を通ってきています。茂原まではあと一時間。 久留里の駅前でひと休みしています。
久留里は自由に湧き水を汲めるよう整えてくれている場所をよくみかけ、ありがたく感じます。

館山から何も飲んでいなかったので、車から瓶を出して水を汲んで飲んでます。座っているベンチの隣には水汲み場があって、2.3組みの高齢の夫婦や子連れの若い夫婦が挨拶を交わしながら水を汲んでいます。会話を聞いていると、この方たちはよくここに水を汲みにくるようです。

買い換える車は7年ほどで22万キロほど乗りました。壊れることもなくしっかり動いてくれている愛車です。結婚前にはひとりで思いつく場所にいって後ろをフラットにしてギターを弾いて車中泊などするのが好きでした。その頃を思い出しながら久留里の水をいただいています。あ、風が吹いて雲が晴れてきた。