2012年12月23日日曜日

沖箱世界

先月、稲毛海岸の SHI TSU RAI で行われた「じんの展」。
会場の隅にこっそり沖箱を展示してみた。
四次元ボックス、オキバコ

上段は、ある童謡の歌詞をイメージして。下段は展示につながりのある本をセレクト。
移動ミュージアム&ライブラリーに。

かつての生活では当たり前だった自家製の手織り布を、時を越えて人々にその美しさや背景を見てもらおうというじんの展。沖箱もまた、現代の漁ではほとんど使われていないツールボックス。
じんのと沖箱には共通した魅力を感じる。

会場に来ていた中年の女性が、「まるで老人と海のような雰囲気ね」と言ったので、中から文庫本を取りだして渡した。


青い月夜の浜辺には
親を探して鳴く鳥が
波の国から生まれ出る
濡れた翼の銀の色
夜鳴く鳥の悲しさは
親をたずねて海こえて
月夜の国へ消えてゆく
銀のつばさの浜千鳥





2012年12月11日火曜日

考えてる人

紅茶の葉が入っていた平べったい缶には、貝殻やどんぐりなどが入っている。
妻が娘と散歩した時に拾ってくるものだ。
貝はわりと小さくて形の整ったものが多い。たぶん娘の手の大きさで握りやすいものを選んで拾っているのだろう。

先日僕は、缶から貝を出して娘と遊んでいた。
片方の手に貝を握って、もう片方は何も握らない。
いちど貝を片手で握っているのを見せてから、両手をうしろにまわして反対の手に貝を握りなおす。そのうえでもう一度両手を前に出す。よくある手品のような遊び。

彼女は何度か僕の思ったとおりに逆の手を解いた。
解いた手に貝が無いのを不思議がった娘はまた反対の手を解いて貝を発見する。とたんに嬉しそうな顔をする。

味をしめた僕は同じ手口を続けることにした。さっきのようにやってみると、彼女は今までと違って静かになり、両手を眺めていた。

彼女は一呼吸おいてから、両手で僕の手を同時に解いた。貝を見つけるとすぐに取って得意そうな顔をした。

まったく、ばれてしまった。

その瞬間僕は少し恥ずかしくなった。
物事をちゃんと考えてるのは彼女の方なんだとドキッとしてしまった。

2012年12月3日月曜日

現役の「房州じんの」に出会った。

先月の初め。一席、お茶にお招きいただいた。
招いてくれたのは僕が小学から中学時代に通った、お茶の先生ではなく、英語塾の先生だ。
お茶を30年以上やっている80歳近い女性である。

15年ほど連絡を取っていなかったのだけど、この秋にふと会いたくなって連絡した。
子育てのことや、0470-のこと、僕がやっている郷土研究のことを話したり、昔のことを聞いたりと、話がはずみ二度ほどお茶に招かれている。先生は10数年前と変わらず本当に明るい雰囲気をもっている。

当時僕は英語が好きだった。それは、塾に行くのが楽しかったからだと思う。
塾に行くと、英語をやるのは当たり前だが、話はたいてい脱線(これは自分からあえてさせていた)。英語とは関係ない話をよく聞いた。実はこの話の中に、中学のボウズにとっては広い視野の勉強が詰まっていたように思う。塾の帰り道は「あのはなしは為になったなぁ」と感心しながら星を見て自転車をこいでいたのを思い出す。ものによっては家に帰って日記にメモしたのもあったと思う。

お茶をいただきながら先生と話しているうちに、「0470-でじんのを展示する」という話題になった。
じんのについて説明すると「それならいいものがあるわよ」と言って、先生は母屋の方に何か取りに行った。

先生が持ってきたのは、深い藍の色をした古帛紗だった。
なんでも、明治生まれの父上が着ていた着物のハギレだそうで、織ったのは母上だと言う。

まさかのタイミングでリメイクされた現役の「じんの」にであうことができた。
僕はそれだけでも驚いたのだが、なにより先生がそれを大事に、自分らしい方法で今に役立てていることに感動を覚えた。

大人になった今でも、先生はいつも僕に大切なことを教えてくれる。



糸はたぶん絹と木綿だろう。染めは紺屋に出し、丸く穴の開いたところは母上が継いだという。
「月に見立てていかがでしょうか?」と愛情たっぷりな風に言う先生の表情が印象的だった。








2012年11月25日日曜日

オモイツキ・ヒラメキ・グローブ

日々過ごす中で、何かの拍子にやってくるヒラメキ・オモイツキというのがある。
独り言にさえなるまでもなく、脳内をかすめては消えて行く一瞬の情感もある。

紙やオンラインにメモにして取ってあるものもかなりある。あるいは書いた紙がどこに行ったか分からないものも多い。

メモする事に対して、いったい紙に定着を図ってどうするんだ?と自問する事もある。
しかし、書くことが楽しいので続いている。 

もしかしたら、写真撮影に似ているのかもしれない。
何か面白いことはないかとカメラを持って、街でもどこでも歩く。
時折、あっ今だというのが訪れる。その時にかまえてファインダーで捉えてシャッターが押せるか。
そんなのに似ている。

街歩きは、撮ろうと思っているのでスタンバイの心持で居ることができるけれど、日常生活のなかで不意に来るヒラメキ・オモイツキに毎度ちゃんとメモを取ろうとなると、結構守備範囲が広い話になる。

紙に書いたことがなにになるかなんて分からないが、紙にかけなかった思い付きというのはいったいどこに行ってしまうんだろうと気になっている。外野手のエラーなら後ろを向けばどこかに球は落ちているだろうけど、ヒラメキ・オモイツキがそこに落ちていることはない。

無重力の宇宙空間では触れた衝撃で触れられた物がどこまでもスーッと飛んで行くというような事を聞いたことがある。エラーしたヒラメキ・オモイツキも、そんな風に自分から無限に離れて行くような気がする。

波状の雲を空に見かけると、砂の海底を歩く足の裏の感触を思い出す。ラジオにしろ感情にしろ「波」的な何かが世界を包んでいるのではないか。とか、網膜に光の刺激が入るから色が見えますというけど、暗い夜に目を閉じて寝てみる夢はものすごく鮮やかな色が付いてるのはなんでか。とか。そんなことがたまに頭によぎる。そのうちこれらの答えがやってくるかもしれない。
そのときはダイビングキャッチでもしたい。







2012年11月22日木曜日

ある人

娘にクレヨンと画用紙を取ってくれとよくせがまれる。

二つを取って置いてやると、クレヨンを手にするや否や画用紙に前のめりになる。
彼女は毛糸が絡まったような輪をグルグル無心に描くのだが、このところはクレヨンを紙に叩いたり、短い線を描いたり楽しそうだ。

あまり楽しそうなので、僕も混ざりたいと思い、彼女の描いた物に手を加えて合作なるものを時折つくる。壁に貼ると彼女は指差してパチパチと手を叩いて嬉しそうだ。

10月の半ばに三色ボールペンで描いた作品:「ある人」 
ふくよかなパーマに見立てた。左目の瞳を書いたら彼女は反対を真似して描いた。





2012年10月22日月曜日

ゆりかごのうた



つい先ほど、娘を寝かしつけていた時のこと。

読んでいた絵本のなかに「ゆりかごのうた」が出てきたので、妻がそれを歌った。
このうたは今のように自分で走り回れるようになる前、よく歌ってきかせていた。

妻の歌を聴いている娘の口は少しずつへの字になって、しだいに瞼は涙で潤み始めた。
ほっぺはうっすらと動いていて、どうやら泣きたいのを我慢しているふうだった。

ひょっとしたら、前にきかされていた頃の事を懐かしんでいるんじゃないか?と妻と話した。
どういう心境か分からないけど、いつもの泣くときの雰囲気とまったく違って、その表情はどこか内側から湧き出るものに向き合うような印象で、僕自身も心情をくすぐられるものがあった。

娘が生まれて一年半。僕たち親の感じる一年半と、彼女の感じる一年半はまるで違うはず。
心身ともにすごいスピードで変化する自分を本人はどう感じているんだろう。

もし、さっきの表情が、娘に「なつかしさ」のような感情が芽生えた証拠だとしたら、それはすごくかけがえのないことだと思った。

2012年10月18日木曜日

じんの -房州縞帳巡回展-


カーテン・布団カバー・座布団・気に入ったシャツ、、、あらめて家の中を見渡すと、多くの布がある事に気づく。僕の部屋にあるのは、アパレルショップとか、ホームセンターとか、インテリアショップなど、どこかしらで買ってきたもの。

しかし、ちょっと前までは生活に必要な布は買ってくるというより「自分で作る」ことが多かったという。それらは地布と書いて「じんの」と読む。

フリーペーパー0470-では、白浜海洋美術館を開設した柳夫妻が40年ほど前に収集した「じんの」を、縞帳として保存する活動を行うあわコットンクラブさんとの共催で、この11月から東京・千葉の全3箇所で縞帳を巡回展示することになった。

どこかの誰かが作った材料を、どこかの誰かが形にしたものを買うことが主流の昨今、じんのに染み込んだ一つ前の暮らしの息づかいに思いをはせるのもわるくない。

おっかあが、家族のために庭先の植物から糸を紡ぎ、夜なべして織った布たちの表情は、明るくおおらかで、美しい!

会期中は0470-cafe&galleryの他、トークイベントやワークショップもあります。
日時・会場など詳細はこちら





2012年10月11日木曜日

弾こう歌おう!

先日の友人たちが来た時のこと。

砂山の後は夕陽を見に富浦の海岸へ。

皆であつまって楽器を演奏するのは本当にたのしい。
ライブというわけでもなく、ただただ皆で海のほうを見ながら、歌いながら。

chan chan /volare / イノキのテーマ/ シャ・ラ・ラ/流星/夜網節/my way/夕暮れ など
電話で「あの曲を合わせてみようか」と思いつき、それぞれコードをとってあわせる。
別々の日常が一曲の中で混ざって、波の音と一緒に空にのぼる。

しあわせ!

※今度合わせる曲、またメールします。

2012年10月10日水曜日

珈琲



ながいことご無沙汰していた方をたずねたら、つい先日黒磯に行ってきたからといってスコーンをくださった。
那須の高原の乾いた空気は大変心地よかったという。

このところは海で見かけるサーファーもすっかりフルスーツになり、季節が変わったのが腑に落ちる。

北の空気を感じにいきたくなった!

2012年10月8日月曜日

砂山へ


いつもの仲間が東京からやってきた。
平砂浦の端っこで伊勢海老やさざえを食べた後、みんなで砂山へ登った。


午前中にあがった雨のおかげで、足元の砂の湿り気も適度。ここちよい散策。


頂上に来る頃には、雲間から日が。空気がうまい!


急勾配を手加減なしダッシュ!
急勾配を前回り受身!

ダッシュの後に自作のゆるキャラで地上絵を描いた男
 
はしゃいだあと。前傾姿勢者続出。



彼は二本目、手加減なしで下りきった!この健脚ぶりったら。

「砂が砂が。」とうれしそう

またみんなで、砂まみれになろう!

2012年9月13日木曜日

今日見せてもらった「じんの」



写真教室にて

今日は 小学校で行われた写真家・飯田裕子さんのカメラワークショップにおじゃましてきた。
みんなに使い捨てカメラを渡して思い思いの写真を撮ってもらうといった連続授業の一回目だった。先日お会いした時にこんな企画があるよとお話を聞いて、是非と思い、ありがたいことにご一緒させていただくこととなった。

小学校へは、卒業以来行っていなかったと思う。前を通るたび少し昔を思い出したりしていた。
子どもが減って、再来年にはこの学校は無くなってしまう。

自分の原風景となっていた校舎で、今の町の子どもたちと今の風景についてのワークショップ。まだこの学校が現役の今、どうしても参加したかった。

飯田さんが皆との約束として言った、「シャッターを押す時は、誰にも相談せず自分が素敵だと感じた時に押してくださいね。」というのが胸に響いた。改めて写真が好きになった。

レクチャーが終わって、皆で校庭に出て写真を撮った。ひとりひとりに気に入ってシャッターを押した風景をきくと皆嬉しそうに応えてくれた。何人かと校庭で寝そべってシャッターを押した時は、本当にあの頃に戻った気がした。

みんな、ここの空気を吸って大きくなったんだ。どうか、これからもいい風景をたくさん見つけていって欲しい!










2012年9月3日月曜日

おばさんのトマト


太海の港を歩いていたら、おばさんが海を見て座っていた。
「鈴なりにはならなかったけど、甘いのョ」と愛くるしい笑顔で言っていた。
立ち話を10分くらいして「またね!」と別れると、おばさんは慣れた様子でトントンと軽快に急な岩場を降りていった。

2012年8月27日月曜日

昨日の波乗り



朝に夕に波乗り三昧だった。幸せ。

2012年8月20日月曜日

テーブルの花

カフェで働いている友だちは、自分の店に花をもって出勤する。
彼女のお母さんは自宅の庭で花を育てるのが好きなようで、出勤前に庭先のものを摘んでいくのだという。

花をいけたらお客さんと話が弾むことが増えたし、仕事中にも自分のいけた花がそこにあるというのが気分がいい。お客さんがひいて少し時間に余裕が出て、店内をかるく掃除したり整えたりする時にはテーブルの上の花は必ず最後に整えるのがとても大事な時間だと言っていた。

彼女は今の店を卒業して、近々新しい家に引っ越し、自分の作るスイーツを色々な人とたのしめるような参加型の工房を作りたいといっていた。

新しい生活にもきっと花が飾られるはず。
そしてまた、そこに来る人とも会話が弾んで、どうか素敵な時間をたくさんの人と楽しんでほしい。

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もしこの世の中に、風にゆれる「花」がなかったら、人の心はもっともっと、荒んでいたかもしれない。
もしこの世の中に「色」がなかったら、人々の人生観まで変わっていたかもしれない。
                           ------- 中原淳一「美しく生きる」より              





2012年8月12日日曜日

聞こえたい


先週のある日の朝、千倉の道端に車を停めたら、ハイビスカスのような花が咲いていた。そのあと同じく千倉のKさんの家におじゃましたところ、そこの庭にも咲いていた。
Kさんは「昨日は咲いていなかったなぁ。」とつぶやいた。

この花から、ラッパのように音が出たらどんな音がするだろう。
小さい音だけど、エコーのきいた、遠くまで聞こえそうな明るい音だといい。


2012年7月26日木曜日

浜へ涼みに

昨日は休日で、一日中暑かった。
昼過ぎ頃、少し雲が出てきたが、それでも吸い込む息は重たく感じられる熱さだった。
家の前の浜に行くことにした。

娘は生まれてはじめて海の水に足をつけた。
濡れた砂の感触に慣れない様子で、足をつけると口を尖らせて眉間にしわを寄せた。
小さい波がくるぶしの上をかすめると、いよいよ泣きはじめてしまった。祖父に連れられて初めて海に行った僕もどうやらそうだったらしい。

磯で蟹探しをした後、娘と妻は先に家に戻った。
その後は、ひとりで沖に浮かぶブイあたりまで泳いで、しばらくの間大の字になって水面を漂った。

この時間が昔からたまらなく好きだ。耳は水につかっているから音は聞こえないし、空しか見えない。少し頭をうしろに反ると逆さまの島が見える。


初夏のうす曇り


2012年7月25日水曜日

ドントウォーリー


洒落のきいたプリントのTシャツを見かけるとつい買ってしまう悪い癖がある。

これは学生のころ東京の古着屋で買ったもの。吊り下げられたシャツを気ままに次々スライドしているうちに文字が飛び込んできた。いわずもがな、「じぁあ、まいっか。問題ない」。文字の通り読んで、その能天気さにくすっと笑ってしまったのを覚えてる。当時レゲエも好きで聞いていた時期だったので、妙に気に入った。
サイズもピッタリで、肌触りも悪くない。

そういえば初めて那須に行った時もこれを着ていたっけ。
夏の那須野が原のドライブは風のない静かな日で、雨がさらさらと降っていた。

dad&mamという名前の森の中にあるレストランで食事をした。店を出ると日が差して葉がまぶしく光っていた。木立の奥から吹いていた風は本当に透きとおっていて、Tシャツの袖を抜ける風が実に心地よかった。

黒磯のカフェに向う道ではたしかレヨナのSea shoreナツメロなどをかけていた。
偶然が重なって、思いもしないタイミングで咲いた花のような一日。信号待ちで、時間は止まらないものかと始めて思った。

ああいう一日があって本当によかったと思う。

2012年7月19日木曜日

まだまだ


小湊に一泊して館山に帰る間、どこかで波乗りをしようと思った。

最初に覗いたところはうねりはあったがあまり波は崩れていなかった。
地形に変化のあるところだったらちょっとは違うかなと二つ目のところを覗いてみたら、いい波がたっていた。

沖に浮いていると、少し離れたところでプロサーファーが波のくずれる場所に実にすばやく移動して、斜面に見事な線を描いていた。


僕が浮いているあたりにも波頭はやってきて、乗る機会は十分にあった。ものによっては岸までの間、乗って行くことができた。波の形は急角度すぎていなくて、乗りやすいものだったと思う。


とはいっても、まだまだ修行が足りない。
波の上に立ったあと、目の前に斜面が続いているのだけれど、なかなか思い切ったカーブができない。長くても30秒もない波の上の時間は、緩やかに上下に動いたりするのだけでも、興奮と楽しさがあるのだけれど、遠くのプロの動きを見ると同じ体感をしてみたいものだと思ってしまう。

長く乗っていたい気持ちの反面、2度ほど派手なカーブに挑戦してみた。
岸から見て波の上を左側に進んでいる時に、その向きを逆に変える大きなターン。
タイミングをみはからって、いざやってみると、足の裏に板が水を切る感触と、水を押す圧力を感じた。が、次の瞬間身体が後ろ向きに倒れてしまった。以前にもやったことのある経験。

失敗すると、瞬時に岸からそれを見たダイジェスト版のような映像が頭に浮かぶもの。
まだ乗れる波の斜面が続いているのに途中で倒れるというなんとももったいない、すっとぼけた映像。脚はまるでピノキオのように棒立ちになってしまっているはず。


二回、ピノキオってしまった。

2012年7月13日金曜日

メローイエロー



出発時間の10分前に起きてしまった。エンジンのキーをひねるまでにやらなきゃいけないことを数えている暇も惜しい状況。洗面台関係を5分で終わらせて、財布と鍵と着替えと、、、ようやく車を走らせたのがいつもの5分後だった。遅刻は決定。約一時間の道中、そわそわしながらアクセルを踏んだ。

半分くらいまでくると朝日で車中の温度は上がり、のどが渇いてきた。起きてから、飲まず食わずだったので、のどの渇きは気になる一方。「どうする?道端の自販機に停める?でももっと遅刻しちゃうよ?」なんて声が聞こえてきた。「そうはいってもこのままはつらいよ!」頭の中で会話をしながら、走った。僕は飲みたい派の意見(本心)をゴリ押しして、道端に車を停めた。


自販機に駆け寄った。焦っているくせに、自販機の前に立つと、思いのほか呑気に、ちゃんと選ぼうとしている自分に軽く驚いた。普段ならお茶か水。しかし、ほぼ無意識に「メローイエロー」のボタンを押していた。微炭酸による焦りからの開放を欲したのかもしれない。


「ガチャン」と音がした。取り出し口の隙間から缶が見えた。
キラット光る黄色い缶にはこんなことが書いてあった。


「メローイエローは、時計を気にせずに 自分のペースで ゆったりしたひとときを楽しみたい人のための なめらかな味わいの シトラス系炭酸です。」


まったくいい朝だった。

2012年7月4日水曜日

縄文遺跡


2012年7月2日月曜日

田原のコルゲート

渥美半島、田原市郊外にあるコルゲート。国道沿いに横たわる文化遺産。

2012年6月28日木曜日

食堂


いつかの夕陽


ベビーカーのひさしは少し短い。座面からプラプラと気ままに丸を描く足は、本格的な夏の日差しになる前だけれど割とすぐに日焼けをする。それもまたよいと思うけれど、散歩はやっぱり少し日が傾いたくらいの頃が風も気持ちがいい。
浜には2メーターくらいの遊歩道を兼ね備えた防波堤がある。そこを直接登るにはベビーカーにはとても急で難しい。だから30メーターくらい遠回りをして、水溜りができるようなごつごつした緩やかな坂を歩いて遊歩道に出る。自由に歩けるようになったら、堤防を駆け上がってみて欲しい。そうしたら、光る夕日が目に飛び込んでくるぞ。

2012年6月24日日曜日

マイ沖箱



見覚えのあった沖箱のこと。この前の休日に祖父が「あったぞ」と一言。
それを聞いてすごく安心した。やはり家の倉庫の奥のほうにしまってあったという。
「たしか30年くらい前に竹岡の知り合いから貰ったような気が・・」と、祖父も定かでないけれど、それでも家の前の海で釣りをするのに使ったことがあるようだった。沖箱の中には、前の持ち主のハイライトに巻きつけた釣り糸や釣具、祖父の書いた黒鯛やイシモチを釣るための仕掛けのメモが入っていた。

今日は、サンドカフェに沖箱をもって行き、紐を通していただいた。クロスの留め具がレザーというのが洒落ていてすごく気に入った。マスター、ありがとうございました!

さて、次はどう使うか。あんなのもいいなぁこんなのもいいなぁと、考え中。

2012年6月14日木曜日

路次白花


2012年6月13日水曜日

沖箱展



先日のこと。友人と波乗りをした後、サンドカフェに沖箱の展示を見に行ってきた。

「沖箱」とはかつて漁具として当たり前のように使われていた木箱。
沖箱も房州うちわ同様、おそらくプラスチック製品の台頭がある意味を持った民具だろう。

船という限られたスペースの中で細かい道具をちゃんと収納できる実用性や、船上のイスとして適度な高さに作られた機能性、緊急時には浮きにもなったという密閉性などを兼ね備えた、気のきいた道具。「デザイン」というより「意匠」という言葉を連想させる佇まい。そんなところに魅力を感じた。

この展示はそんな沖箱のもつ「実用」と「趣」と「房州の民芸性」を、新しい様々な用途を提案しながら粋に紹介していた。

この箱が「沖箱」というものだとは知らなかったのだけれど、手にとって見ていると、どこかで見たような気がした。記憶に間違いがなければ、実家の倉庫だったはず。

僕は漁を生業にしているわけでもないけれど、もし家に沖箱があったら、僕も自分なりにこれを使おうと思った。なんというか、この土地(主に海を向いていた人)に続いてきた営みに参加したいと思ったからだ。



2012年6月8日金曜日

梅乃家




先日、竹岡のウメノヤに行ってきた。前に行ったのは小学校の終わりくらいだったと思う。
そのときは、お腹が一杯になってしまって普通盛が全部食べられなかった記憶がある。

前を通りかかると、たいていは行列が出来ているこの店。辺りにはスープのいい匂いが漂っていて、後ろの車に余裕のあるときはスピードを緩めて窓を開けて、その匂いを車内に入れるのが楽しみだったりする。

今回も、行列だった。「ご注文は?」と聞かれるやいなや一緒に行った父親が「大盛り・ヤクミ・二つ」と言った。お店のおばさんは「はーい」といってすぐに調理場に戻った。とてもテンポ良くやり取りが流れたので「大盛り大丈夫か、俺。」と思って席に着いた。

目の前に出されたラーメンは、案の定すごい量だった。久しぶりに食べた味に一通り喜んだ後からは、減らない麺との戦いだった。降参宣言とともに、合席した女性とつい笑いあってしまった。

こんどは普通盛りにするよ。

2012年6月7日木曜日

海苔で


トランスパレントをつくってみたけれど、風が吹いてすぐにちぎれてしまった。やっぱり本物に限る。笑

2012年5月10日木曜日

ぱっぱ


連休を妻の実家で過ごした娘。何日かぶりに帰ってきた彼女が、僕を見るなりしゃべったのは「パッパ」。

出かける前にしゃべっていた、唇であそぶように発音していた「ぱっぱ」とはどうも違う感じだった。

どうやら妻の実家で「パパ(父親)」というのを覚えたようだ。

人と場所



身近な年配の方に、昔話を聞くのは面白い。
小さな頃に聞かされたことがある話でも、今あらためて聞いてみると思いがけないことがつながったりする。

身近な人たちの記憶の断片には、自分の探るべきキーワードが散りばめられているような気さえしてきた。

僕が生まれる前にそこで起きていたこと、時間の延長線上に僕は「おぎゃあ」とうまれた。

前にどこかで立ち読みした本にこんなようなことが書いてあった。

「ひとりの人の存在は、時間や歴史といった縦軸と、今築いている関係といった横軸の交点にある。」

2012年4月25日水曜日

ばぁ

「いないいないー。」と言いながら、顔を隠す指をほんの少しだけあけて娘の表情を見る。
最近はその意味もすっかり覚えたようで、「ばぁ」のタイミングを伺っているような様子。

「ばぁ」とやると、少し遅れて「ばぁ」と返してくるか、顔をくしゃっとつぶして嬉しそうな顔をしてはしゃぐ。
そんなやりとりが楽しくて、一日に何度もやるせいか彼女はいろんな「イナイイナイバア」を使い始めるようになった。

掃きだし窓に下がっているレースカーテンの方にハイハイをしていって、それで顔の辺りを隠してから「ばぁ」とやったり、今こうしてキーボードをたたいている間にも、引き戸ごしに目が合ったときも「ばぁ」とやった。

それからこんなのもある。彼女は筆記用具が入っている引き出しによく手をかけて開けてしまう。 今日の昼に目を放した隙にボールペンを持って振り回していので、ひとまず「ないない」と言って、正座していた自分の膝の裏にバレないように隠した。 
楽しく遊んでいたのに、一瞬で目の前から消えてしまったボールペン。彼女は「ばぁ」「ばぁ」と繰り返した。 あれは、きっとボールペンさんが出てくるように願って言っていたんだと思う。

 「いないいないばぁ」は、きっと彼女にとって、消えたものが目の前に戻ってくるという魔法の言葉。

膝の裏からサッとボールペンを出して「ばぁ」とやったら、いつものように顔をくしゃっとして、膝を伸ばしてはしゃいでいた。

2012年4月7日土曜日

花見

今日の昼、仕事の間に寄ったかつどん屋は、駐車場には車が少なかったはずなのに店内はすごく賑わっていた。
席を案内されるまで長椅子に詰めて座りながら、ケータイでツイッターのTLを見ていると、こんなようなツイートを見かけた。

「万人の心に花がある」

窓の外を見ると、道の反対側に花見で賑わう公園が広がっていた。
店内をよく見渡してみると、お客の大半がどうやらその公園に花見をしにきた人のようだった。

2012年4月1日日曜日

白浜にて