2011年3月27日日曜日

サイカチの木



高校の頃、試験前によく通った館山図書館。勉強という名目だったけど、思い返せば関係ない本ばかりに手が伸びていた。

駅から図書館に向かう途中に、路上に堂々と幹を張る一本の木がある。ずいぶんと迫力のある胴回りなので、通るこちらがついついよけてしまうのだけれど、それにしても何でこんなに道にはみ出ているの?と疑問を抱きながらいつも前を通っていた。

その疑問の答えは、ある日図書館の本棚から見つかった。
本棚からとって読んだ本に書かれていたのは、大津波が館山を襲った時、この木によじ登った人が津波の難を逃れたというものだった。

本を読んだ日の帰り道、僕はこの木に一礼して帰った。
今日もサイカチの木は、災害の記憶を道行く人に伝え続ける。

僕の中の大津波

「江戸時代、ここにはいくつかの畑と墓地がある岬が海に突き出していて、その岬は、大地震によって海に沈んでいったんだ。だから海のそこには今もお墓があるんだよ。その後大きな津波が来て、今いるこの辺りは全部流されてしまったんだ。」

これは僕の実家の目の前の海に伝わる話。僕は、幼い頃から父や毎日決まって海辺に夕涼みに来る近所のおじいさんから、この話を聞かされて育った。そのせいか、地震というものを良くわかっていない時分から、その得体の知れなさや、とてつもなさみたいなものを想像していた。

2週間前、大津波が東北を襲い日本中にかつてない被害をもたらした。
いろいろな情報ソースはあれど、地震というのは、個人のレベルにおいて、いつ起きるかなんてわからないといっていいだろう。ある意味予測ばかりにとらわれては危ない面もあるかもしれない。

だからこそ、日常で語り継いでいかなくてはいけない。
伝承は、ある意味「緊急地震速報」よりも役に立つような気もする。
今、日本で起きていることを語り継いでいかなくちゃ。と思う。