味噌汁、味噌ラーメン、酢味噌あえいろいろ、、、昔からずっと好きな食べ物は味噌ものが多い。
今日は知人から隣町にて「味噌を仕込むのでよかったら」というお誘いがあり、どうやって作られるか知りたくて参加しました。
今日の作業は、麹菌をつけて発酵させた米と茹でた大豆を混ぜミンチ状にしてそれを寝かせ、その後完成を待つという内容。通常4日かけて仕込む味噌の最後の工程。作った60キロの味噌たちは季節を経て11月ころにおいしい味噌になるそう。
濃厚な風味の大豆の煮汁や、麹菌のついたお米の甘みなど味噌になる前の段階にもおいしさがあるんだ!と発見がありました。やっぱみそ大好き。
2010年2月28日日曜日
2010年2月24日水曜日
あの岩へ
小学校のころ父親の車でドライブしていた時、窓に吸い付くようにして見上げた不思議にそそり立つ岩をたたえた山。前を通るたび昔の記憶が蘇る、憧れの伊予ヶ岳に今日、登らせてもらいました。
ふもとの神社の境内からつづくハイキングコースはきれいに整備され、一時間弱で頂につくことができました。道端に茂る植物も生き生きとしていて、山全体に明るいイメージを感じました。
頂の付近では急な岩肌に垂れるロープや鎖をよじ登る楽しさがあります。
突き出た岩に飛び移った人がいるという逸話?や天狗の言い伝えがあることから、あの岩を近くで見てみたいとずっと思っていました。いざ目の前にすると飛び移るなんてとても無理そう。岩にまつわる不思議な魅力と、すがすがしい空気の素敵な山です。
途中一人のおじいさんとすれ違いました、足の運動にと登った帰りだそう。御歳80歳、時間を聞かれ答えると「ありゃ、お昼にしなきゃあ。」とスタスタ下っていきました。足は丈夫そうです。
2010年2月23日火曜日
喜びの星
遠い昔、ハワイをはじめとしたポリネシア諸島の交流は、木や植物の繊維だけで作られた船で自由に行き来していたという。方位磁石もレーダーも使わずに星を知り、風を読み、生物と対話しながら進む数千キロの航海。
「ホクレア号が行く」という本は、古代の船と航海を多くの人々と一緒に現代に蘇らせた ナイノアさん が書いたもの。ホクレア号はハワイ社会の西洋化によって忘れかけられていたポリネシアの文化とアイデンティティ復興の象徴になった。
本の中で印象に残ったエピソードを。
船の材料となる程の大きな木は、経済発展の代償により失われたハワイの森には残されていなかった。一行は材料を求めアラスカへ出かける。
そこで出会った先住民の長老に事情を伝えると、彼は木を与えることを承諾。しかし一行はアラスカの人々の木や自然に対する敬意を目の当たりにし、その木を倒すことをやめるよう頼んでしまう。
森と家族のように接する、人々の姿勢に心を打たれた一行はハワイに戻り、100年経ってもハワイで育った木で立派な船が作れるようにと一万本の植樹をした。この植樹に参加したアラスカの人々からは「与えることこそが富だ。」という言葉とともに船を作るのに必要な大木がプレゼントされた。
島やアラスカなどの自然環境に制限がある風土では、富の「蓄積」より「分かち合い」が大事なことだそう。
現代の富への捕らえ方とは逆の発想です。富を手に入れることに奔走すると知らぬ間に分け与えることを忘れていくといいます。無償で分けることを喜びとする豊かさ。今の僕らにもとても必要な気がします。
「ホクレア号が行く」という本は、古代の船と航海を多くの人々と一緒に現代に蘇らせた ナイノアさん が書いたもの。ホクレア号はハワイ社会の西洋化によって忘れかけられていたポリネシアの文化とアイデンティティ復興の象徴になった。
本の中で印象に残ったエピソードを。
船の材料となる程の大きな木は、経済発展の代償により失われたハワイの森には残されていなかった。一行は材料を求めアラスカへ出かける。
そこで出会った先住民の長老に事情を伝えると、彼は木を与えることを承諾。しかし一行はアラスカの人々の木や自然に対する敬意を目の当たりにし、その木を倒すことをやめるよう頼んでしまう。
森と家族のように接する、人々の姿勢に心を打たれた一行はハワイに戻り、100年経ってもハワイで育った木で立派な船が作れるようにと一万本の植樹をした。この植樹に参加したアラスカの人々からは「与えることこそが富だ。」という言葉とともに船を作るのに必要な大木がプレゼントされた。
島やアラスカなどの自然環境に制限がある風土では、富の「蓄積」より「分かち合い」が大事なことだそう。
現代の富への捕らえ方とは逆の発想です。富を手に入れることに奔走すると知らぬ間に分け与えることを忘れていくといいます。無償で分けることを喜びとする豊かさ。今の僕らにもとても必要な気がします。
2010年2月21日日曜日
約束
ハワイには古くから自然に沿った独自の価値観や文化が深く流れていたのだけれど、1779年の英国の探検家が来航したことを契機に、ハワイの文化は抑圧されていく。1959年に米国の州になるとフラは禁止され、文化衰退に大きな拍車がかかった。それは本来の文化をとりもどす運動の始まりでもあった。
学生のころ、家の近くの古本屋でたまたま見かけて買った、ナショナルジオグラフィックのハワイ特集号。
読んでみるとそれまで抱いていたハワイへのイメージは、がらっと変わりました。
この本はハワイ先住民の人たちに、消えて行きつつある文化や、それを取り戻すための取り組みがインタビューされています。
久しぶりに読み返したのですが、感動しました。
やっぱり一般的に流れているハワイのイメージや情報は、本来のハワイの姿とはかけ離れているところも多い気がする。
ハワイに伝わる伝統的な考えや行いからは、自然と人の間にある美しい約束を感じます。
2010年2月17日水曜日
房州うちわを買うこと。
うちわはクーラーや扇風機が出る以前は誰もが手にしていた、涼の主流だったそう。
多分手軽に涼をとる道具が他に少なかったからだと思います。
今なんで工芸商品としてうちわが残っているか、それはきっと 「やっぱり便利」とか「やっぱり涼しい」とか「文化としてのこしたい」のような理由かなと思います。
房州うちわは誰でも竹やぶに入って材料を取れば、すぐ作れるようなものでなくて、やっぱり職人と呼ばれる人がいる。そういう作るための技をもつ人でないと基本的に作れない。だから工芸商品なんだと思う。
商品としてやってる以上は、売れないと次につながらないし、文化も売れなければ無くなってしまう。
なにより気に入って買ってくれる人がいるから作り甲斐がある。チケットを作ってライブをやるのに、お客さんがいる分うれしくて気分がのってくるような感じ。
そんなふうに考えると「買う」っていうことは、文化のバトンを次世代につなぐことなのかもしれないなと思います。
利益優先を前提とした成長・拡大思考が、お金の価値や取引を実物経済を超えたものにし、実際の経済機能をおかしくしてしまった今の世の中、今後経済がどう向かうのかわかりませんが、身の丈の商いや売買のシンプルな意味を振り返るのがいいような気がします。
2010年2月14日日曜日
つながる石
館山近郊の南西向きの海岸からは、たいてい大島を望むことができます。
86年の三原山噴火はこちら側からよく見えていたそうですが、僕は2歳のころ。思い出そうとしても出てこないのです。
溶岩流を生で見たいと思っていた僕は、ハワイ島のカラパナで海に大量の湯気を噴きながら落ちる溶岩を見て敵いっこない自然の営みを感じました。
それ以来、カラパナで見たような火山の力がすぐ近くの大島にあるような気がしています。大島とハワイ島は火山信仰という共通項で姉妹関係があり、クムフラの方も大島へ来たこともあるそう。
今日は大島に行ってきた友人Kさんにお土産の溶岩石をもらいました。棚に飾った溶岩からは、静かに自然の力を感じることができます。
おみやげありがとう!
fan
房州うちわは高校のころに買って以来好きです。
よく知りたいと思い実際に作っている方を訪ねました。
美しいうちわには、伝統工芸の抱える後継者不足や、現代的な涼の取り方による需要低下などの背景があることを知りました。
一本のうちわができるまでに、約25工程の繊細な作業を必要とする房州うちわは、無駄の無いシンプルな構造になっていて、うちわの中でも独特の美しさがあると思います。
写真は展示で日焼けしてしまったうちわ。安く譲ってくださいと頼むと、「処分しようか迷っていたもんだから、使ってもらえばうちわも喜ぶよ。」といただきました。
一本一本が大事なうちわ。大事に使っていこうと思います。
冬はブランケット、夏はうちわ。シンプルに暖や涼をとるかたち。
2010年2月12日金曜日
2010年2月10日水曜日
2010年2月6日土曜日
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