2013年1月30日水曜日

生活即助走

たとえば、目の前にあるとび箱を飛ぶために、あるいは目の前の砂場をより遠くに飛ぶために、助走をする。これはあらかじめ目の前に何かを設定した時に、開始する助走。

一方で、波乗りの助走はこれとは趣を異にするように感じる。それは、とび箱や砂場とは違って対象そのものがこちらに向ってやってくるからだろう。波にうまく乗るには、パドリングによって瞬間的に自らがその波の速度や斜度に合った状態になる必要がある。その作業が助走にあたるように思う。

前者の助走はこれからの世界、それに対して後者の助走は、これまでの世界が大きな要素を占める。

どちらかと言うと、僕は後者の助走に魅力を感じる性質(タチ)だ。それは、料理でいうところの素材の味を大事にすることや、読書や物事を解釈する上での文脈に気を配ること。地の利を考えること、その土地に重ねられてきた歴史や記憶のようなものの上に未来を作ろうとする姿勢にどこか通じている。

明治時代の児童心理学者・倉橋惣三の「生活を生活で生活へ」という言葉が好きだ。この言葉は、先日0470-の取材で和光保育園に行った際、園長先生が教えてくださった。生活のなかから生まれた問題や出来事を生活の中で解決し、それをまた生活の中に戻し生かして生活そのものをより良くしていくことだと思っている。
それから、武道家の塩田剛三は「歩くこと即武道」と言っていた。

ひょっとしたら、普段の生活そのものが、助走なのではないか。

個人や社会において「これまで」との断絶の無い、より良い未来に向かうにはどうしたらいいのか。

夕方に海岸を歩きながら、ぼんやりそんなことを思った。