2010年4月29日木曜日
Lou Courtney
今日カーラジオから流れてきたルー・コートニーの「 I Don't Need Nobody Else 」、陽気とグルーブが相まって心地いいドライブができました。
ダニーハサウェイやマービンゲイなど、ニューソウルのサウンドにはつい反応してしまいます。
レコードジャケットも、シンプルで温かみがあって素敵!
2010年4月25日日曜日
うれしい間違い電話
おとといのラジオのエピソードをひとつ。
あるラジオ番組に寄せられた20代の男性による投稿でした。
休日に部屋でテレビを見ていると、電話がなりました。
受話器からは、幼い男の子の声で「○○君、これからサッカーボールもって遊びに行くので待っててね」という遊びのお誘い、怒る気になれずに丁寧に「僕は○○君じゃないな、多分電話番号を間違えてると思うから、もう一度番号を良く見て電話してあげてね」といってあげたのだそう。
その数分後にまた電話が鳴りました。出てみると、さきほどの少年がモジモジしていました。「さっきの君だね」と声をかけると彼はこう答えたそうです。
「さっきはごめんなさい、○○君の家は最後の番号が12なんですけど、21と押してしまったので間違えてしまいました。」
「丁寧にありがとう、サッカー楽しんでね」と電話を切ったと言う話。
素敵な二人ですねっ!
あるラジオ番組に寄せられた20代の男性による投稿でした。
休日に部屋でテレビを見ていると、電話がなりました。
受話器からは、幼い男の子の声で「○○君、これからサッカーボールもって遊びに行くので待っててね」という遊びのお誘い、怒る気になれずに丁寧に「僕は○○君じゃないな、多分電話番号を間違えてると思うから、もう一度番号を良く見て電話してあげてね」といってあげたのだそう。
その数分後にまた電話が鳴りました。出てみると、さきほどの少年がモジモジしていました。「さっきの君だね」と声をかけると彼はこう答えたそうです。
「さっきはごめんなさい、○○君の家は最後の番号が12なんですけど、21と押してしまったので間違えてしまいました。」
「丁寧にありがとう、サッカー楽しんでね」と電話を切ったと言う話。
素敵な二人ですねっ!
2010年4月24日土曜日
貝のデザイン
小学生のころ家にあった房州うちわを見て、貝みたいだ!と思いました。
今改めてみてみると、やっぱり二枚貝のよう。
「自然に学べ」という言葉もあるくらい、人間の作り出すデザインにとって自然物の構造ってすごい。
自然物のデザインは何億年もの時間をかけてその形や仕組みを作ってきたんだなと思う。
イームズのシェルチェアも、自然の営みから知恵を学んだんじゃないかなと思います。
貝の筋は放射肋(ほうしゃろく)といって、溝と突部の繰り返しで強度を保っているそう。
房州うちわの筋は、扇ぎ面を貼る骨組みの部分。こちらもやはり竹と紙が凹凸をつくり強度を支えています。
貝は体自体が湾曲しているけど、房州うちわは、柄に差し込まれているスゲという竹が強力に曲げられているためその強度を維持しています。
今から100年以上前房州うちわのかたちをデザインした人は貝から何かを学んだのでしょうか?
2010年4月22日木曜日
2010年4月21日水曜日
編集者のまなざし
ときおり、生まれてから最期までの時間って一冊の本を作るような編集作業なのかもな。と思うことがあります。
今日出会う人・もの・感情・いろいろな出来事。そんなのを整理して、折り合いをつけながら、ページを重ねていくような気がします。最期に見る、よく言う「走馬灯のように」というのはそんな編集したものを見ることが許される時間なのかも。
暮しの手帖を創刊した花森安治さんの著書『一戔五厘の旗』(1971発行)。広く深く時代を見るまなざしにあふれた本。
見返したくなる自分の本を、今日も明日もいいページをつくろう!
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機械は、機械の美しさを、つきつめてほしいし、花は花の美しさを、そっとしておいてもらいたい。
それを見わけられる感覚。 リクツやゼニをぬきにして、素直に美しいものを美しいと見る、その感覚が、ほしい。(「美しいものを」より)
2010年4月19日月曜日
Orquesta De Rana!
down to earth
今日は外苑前で行われた映画・「降りてゆく生き方」の上映とトークイベントへ。
トークをしたのは映画脚本を作るのに参考にされた方々と、主演の武田鉄也さん。
映画では、現代社会においての経済活動優先の競争的な生き方を「登ってゆく生き方」と呼び、それと反対の共生や自分らしい生き方を「降りてゆく生き方」と言っていました。
そんな内容を聞くと、どこかお金や今の経済活動を否定してるように感じがちですが、トークをされた方たちは降りてゆく生き方を通して、自分の商売をしっかりとやっているところが素敵に思えました。
地に足が着いているってこういうことかなって。
会場には20から60代くらいの方が長蛇の列。バブル景気を経験している人は、当時と劇中の価値観にハザマを感じるかもしれないけど、僕たち世代はバブルの感じもわからないし、はじめっから登って行くような感じでもない。なので、うまくバランスとるのが役目かなぁ。なんて思ってみたり。
印象に残ったのは、りんご農家、木村さんの話の中で武田さんが言ったひとコマ。
「たいせつなのは、誠実な生産者と誠実な消費者の一対一の関係、物を買うということは作っている人を応援するということだと思うんです」。
せっかく買うんだもん、応援したい人に気持ちをわたす感じで買いたいなぁって思います。
映画のあとはアースデイ・トーキョーへ。
トークをしたのは映画脚本を作るのに参考にされた方々と、主演の武田鉄也さん。
映画では、現代社会においての経済活動優先の競争的な生き方を「登ってゆく生き方」と呼び、それと反対の共生や自分らしい生き方を「降りてゆく生き方」と言っていました。
そんな内容を聞くと、どこかお金や今の経済活動を否定してるように感じがちですが、トークをされた方たちは降りてゆく生き方を通して、自分の商売をしっかりとやっているところが素敵に思えました。
地に足が着いているってこういうことかなって。
会場には20から60代くらいの方が長蛇の列。バブル景気を経験している人は、当時と劇中の価値観にハザマを感じるかもしれないけど、僕たち世代はバブルの感じもわからないし、はじめっから登って行くような感じでもない。なので、うまくバランスとるのが役目かなぁ。なんて思ってみたり。
印象に残ったのは、りんご農家、木村さんの話の中で武田さんが言ったひとコマ。
「たいせつなのは、誠実な生産者と誠実な消費者の一対一の関係、物を買うということは作っている人を応援するということだと思うんです」。
せっかく買うんだもん、応援したい人に気持ちをわたす感じで買いたいなぁって思います。
映画のあとはアースデイ・トーキョーへ。
2010年4月18日日曜日
珊瑚
土曜の夕方毎週楽しみにしているあるラジオ番組があり、今日は海の生き物についての会話だった。
珊瑚は小さい穴のようなポリプという部分と、その中に住むカッチュウソウという生き物が行う光合成との共生で群体をつくっているのだそうです。
以前から地元の町にも珊瑚がいるというようなということを聞いていながらも、沖縄に行ったときには珍しそうに珊瑚を拾ってきました。やっぱり珊瑚は南の方のものだというイメージだったのです。
しかし珊瑚の生息域が近年変わってきているといいます。
海水温の上昇によってこれまでサンゴに適していた海域は生きていけないエリアになり、彼らはどんどん北上しているそう。日本で言うと沖縄などの海域から、東京湾や勝浦あたりに引越しだしているのだとか。
いわゆる温暖化ってやつ。
「温暖化」ってのはいろんな意味で使われるけど、僕は人間の営みなんかよりもはるかに大きな地球のリズムでは温暖化だって必然なことなんじゃないかなと思えるのです。そんな気がするのです。
館山内部の陸地からも古代の大きな珊瑚の化石が見つかっていますし。せっかく近くに越してきた珊瑚さん。機会があれば見に行きたいと思います。
珊瑚は小さい穴のようなポリプという部分と、その中に住むカッチュウソウという生き物が行う光合成との共生で群体をつくっているのだそうです。
以前から地元の町にも珊瑚がいるというようなということを聞いていながらも、沖縄に行ったときには珍しそうに珊瑚を拾ってきました。やっぱり珊瑚は南の方のものだというイメージだったのです。
しかし珊瑚の生息域が近年変わってきているといいます。
海水温の上昇によってこれまでサンゴに適していた海域は生きていけないエリアになり、彼らはどんどん北上しているそう。日本で言うと沖縄などの海域から、東京湾や勝浦あたりに引越しだしているのだとか。
いわゆる温暖化ってやつ。
「温暖化」ってのはいろんな意味で使われるけど、僕は人間の営みなんかよりもはるかに大きな地球のリズムでは温暖化だって必然なことなんじゃないかなと思えるのです。そんな気がするのです。
館山内部の陸地からも古代の大きな珊瑚の化石が見つかっていますし。せっかく近くに越してきた珊瑚さん。機会があれば見に行きたいと思います。
2010年4月15日木曜日
2010年4月14日水曜日
看板は云う。
海外を歩いていると、やたらと看板に目が行ってしまいます。
本屋でも海外の看板たちを集めたイラスト集などは、なぜか見たくなります。
そもそも看板は車や徒歩など、想定した通行人にうまく見てもらえるように作るはず。
だから、目に留まる看板はいつも、存在感があるように感じるのかもしれません。
特に手書きのものは、文字のタッチや文化の違いからか、ちょっと思いつかないような雰囲気を味わうことができるので、その土地の異国情緒を膨らめてくれる気がします。
ラテンというのは、小学校のころにランバダの音色に夢中になって以来ずっと、気になっていたいわばキーワードだった。
写真は以前にスペイン、マラガ市内のある広場で見かけた、とあるバールの手書きの看板。
まさにラテン文化圏に来ちゃったな!っと、ひとりで思いをかみしめた瞬間を思い出します。
2010年4月9日金曜日
何があっても笑っちゃう。
2010年4月7日水曜日
2010年4月4日日曜日
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