2012年12月23日日曜日

沖箱世界

先月、稲毛海岸の SHI TSU RAI で行われた「じんの展」。
会場の隅にこっそり沖箱を展示してみた。
四次元ボックス、オキバコ

上段は、ある童謡の歌詞をイメージして。下段は展示につながりのある本をセレクト。
移動ミュージアム&ライブラリーに。

かつての生活では当たり前だった自家製の手織り布を、時を越えて人々にその美しさや背景を見てもらおうというじんの展。沖箱もまた、現代の漁ではほとんど使われていないツールボックス。
じんのと沖箱には共通した魅力を感じる。

会場に来ていた中年の女性が、「まるで老人と海のような雰囲気ね」と言ったので、中から文庫本を取りだして渡した。


青い月夜の浜辺には
親を探して鳴く鳥が
波の国から生まれ出る
濡れた翼の銀の色
夜鳴く鳥の悲しさは
親をたずねて海こえて
月夜の国へ消えてゆく
銀のつばさの浜千鳥





2012年12月11日火曜日

考えてる人

紅茶の葉が入っていた平べったい缶には、貝殻やどんぐりなどが入っている。
妻が娘と散歩した時に拾ってくるものだ。
貝はわりと小さくて形の整ったものが多い。たぶん娘の手の大きさで握りやすいものを選んで拾っているのだろう。

先日僕は、缶から貝を出して娘と遊んでいた。
片方の手に貝を握って、もう片方は何も握らない。
いちど貝を片手で握っているのを見せてから、両手をうしろにまわして反対の手に貝を握りなおす。そのうえでもう一度両手を前に出す。よくある手品のような遊び。

彼女は何度か僕の思ったとおりに逆の手を解いた。
解いた手に貝が無いのを不思議がった娘はまた反対の手を解いて貝を発見する。とたんに嬉しそうな顔をする。

味をしめた僕は同じ手口を続けることにした。さっきのようにやってみると、彼女は今までと違って静かになり、両手を眺めていた。

彼女は一呼吸おいてから、両手で僕の手を同時に解いた。貝を見つけるとすぐに取って得意そうな顔をした。

まったく、ばれてしまった。

その瞬間僕は少し恥ずかしくなった。
物事をちゃんと考えてるのは彼女の方なんだとドキッとしてしまった。

2012年12月3日月曜日

現役の「房州じんの」に出会った。

先月の初め。一席、お茶にお招きいただいた。
招いてくれたのは僕が小学から中学時代に通った、お茶の先生ではなく、英語塾の先生だ。
お茶を30年以上やっている80歳近い女性である。

15年ほど連絡を取っていなかったのだけど、この秋にふと会いたくなって連絡した。
子育てのことや、0470-のこと、僕がやっている郷土研究のことを話したり、昔のことを聞いたりと、話がはずみ二度ほどお茶に招かれている。先生は10数年前と変わらず本当に明るい雰囲気をもっている。

当時僕は英語が好きだった。それは、塾に行くのが楽しかったからだと思う。
塾に行くと、英語をやるのは当たり前だが、話はたいてい脱線(これは自分からあえてさせていた)。英語とは関係ない話をよく聞いた。実はこの話の中に、中学のボウズにとっては広い視野の勉強が詰まっていたように思う。塾の帰り道は「あのはなしは為になったなぁ」と感心しながら星を見て自転車をこいでいたのを思い出す。ものによっては家に帰って日記にメモしたのもあったと思う。

お茶をいただきながら先生と話しているうちに、「0470-でじんのを展示する」という話題になった。
じんのについて説明すると「それならいいものがあるわよ」と言って、先生は母屋の方に何か取りに行った。

先生が持ってきたのは、深い藍の色をした古帛紗だった。
なんでも、明治生まれの父上が着ていた着物のハギレだそうで、織ったのは母上だと言う。

まさかのタイミングでリメイクされた現役の「じんの」にであうことができた。
僕はそれだけでも驚いたのだが、なにより先生がそれを大事に、自分らしい方法で今に役立てていることに感動を覚えた。

大人になった今でも、先生はいつも僕に大切なことを教えてくれる。



糸はたぶん絹と木綿だろう。染めは紺屋に出し、丸く穴の開いたところは母上が継いだという。
「月に見立てていかがでしょうか?」と愛情たっぷりな風に言う先生の表情が印象的だった。