2011年1月29日土曜日
2011年1月27日木曜日
夕日に見とれ続けている

森では一番の者が、南へ向かって行ったきり帰らないと言う話は多くの森に住むもの達に知られたことになっていた。
この話に一番興味を示したのは、森を囲む草原の王だった。いつもの様に獲物探しのために森のフチを歩いていると、木々の奥から興味深い話が聞こえてきた。「どうやらあいつは延々と光る水、海というのを見に行ったらしい。」
森で一番の者を魅了するそれを、草原の王が放っておく訳には行かなかった。
是非その「海」とやらを見てみようと、彼もまた、静かに歩みを始めた。
彼が進む道はおおよそ正しく、半島の中心あたりを南に進んでいた。
ある日の夕方、彼の右頬を西陽が染めた。木々を掻き分け、陽の指す方へ向かい、彼は岬になっていたその山の突端に出た。
遠くの空から岬の下に視線を落とすと、燃えるように赤い太陽が延々と水平線まで光る絨毯を水面に浮かべていた。「これが、海に違いない。」彼は確信した。
草原の王を迎え入れるかのようなその絨毯に見とれた彼は、此処こそ自分の居場所であると決めた。
2011年1月26日水曜日
寺下界隈
愛知県田原市にある「寺下通り」。何年か前に自転車でこの界隈を巡ったことがあった。
木造の古い民家や看板造りの商店、かつての遊郭らしき風情のある建物などがせせこましく並んでいて、路地全体に独特の時代感を醸し出していた。初めて訪れた土地勘のない僕にとって、そこはまるで時間のねじれた迷路のように感じられた。
日が暮れるごとにはっきり見えていた道端の風景は徐々にイメージの世界に変わっていき、暗さのせいか自転車のスピードは速くなった。街灯がつき始めた頃、小さい分岐の前でブレーキをかけて止まると、僕はあたかもタイムスリップしているような気になった。ここは人を歴史の一部に誘ってしまう界隈だ。
よく「町並みを保存しよう」という合言葉を聞くけれど、この界隈はそういった雰囲気は感じられなかった。理由は色々あると思うけれど、ただただ普通の姿がいつもの通り続いているんだろう。今、あの路地の風景はどうなっているだろう? 前の雰囲気をとどめているだろうか? 僕はそのままであって欲しいと思う。
2011年1月25日火曜日
0470- vol.2 房総百景の後記
今号の「房総百景」には内房の町岩井で生涯を閉じた詩人・百田宗治氏のことを書きました。
そして今日は、その号の発行日であると同時に、偶然にもの彼の誕生日でもありました。
高校の頃の僕にとって、岩井は自転車で40分もかけて行く遠くの隣町で、岩井の長い砂浜の端っこで、親しい友達と語らったり夏場には花火をしたりするのが楽しみでした。
元旦の早朝に僕は取材のためクルマで少し大人になった気分で岩井を訪れました。
彼の詩のひとつに「朝の時間」というのがあり、この詩からは彼が抱いていた、時間や人生に対しての愛情みたいなものを感じられます。どうせ岩井を歩くなら、彼が大事にしていた時間にと思い、はりきって早起きをしてみました。
紙面に書いたように、生前彼の住んでいたという家の前からは岩井の浜が見えるのだけれど、僕は遠くに花火をしている友人と僕が見えた気がしました。
房総百景を書くことによって、僕が今まで知らなかった出来事や、見えていなかった地域の姿に触れることができています。そしてなにより、この舞台は僕の地元であって僕の記憶もそこに積み重なっているのです。
2011年1月23日日曜日
みんなが街を作っている。
2011年1月19日水曜日
2011年1月7日金曜日
那須からはじまった。
正月は、親友と那須へ。
春のような日差しがあふれる元日の朝、内房で0470の取材をした何時間か後には道端に雪の残る那須塩原の町を歩いた。
泊まった二期倶楽部で、翌日の黒磯ショーゾーで、会社を経営する友と思い出から事業や仕事、生き方など、尽きない話ができた。さらに前に進めそうな一年の幕開けになった。
もうすこしで僕も27歳。27歳は人にとって転機となりやすい歳だと思う。聞いたところによると人間の細胞は27年くらいでほぼ全てがいれ変わるのだとか。きっと、今年はいい年になる。
二期倶楽部はいい宿だった。夏にここで行われている、「山のシューレ」は、素晴らしい。こういうイベントをやるような那須の文化土壌や、オルタナティブな価値観を持つ事業や企業がホントに求められる時代なんだと思う!
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