2011年11月23日水曜日

cubana!


先日の学生時代の仲間で集まったバーベキューでお土産に貰ったキューバの葉巻、「COHIBA」。

葉巻は以前に何度か頂く機会があり、すってるうちに香りが気に入っていました。
普段は自分では買いませんが、タバコとは別。タバコは止めて数年経ちますが葉巻のアロマはアリです。
キューバに行ってきたのは音楽が好きな彼で、一度風土を体験してみたかったのだとか。
彼の話で面白かったのをひとつ。

サンチアゴ・デ・クーバの街角で演奏が聞こえてくる建物に入ってみると、どうやらあるバンドのレコーディングが行われていて、なかなかいい演奏っぷりだった。気を良くしたメンバーが最後に打上げに行こうと彼を誘って来た。気分の良かった彼は一緒に飲みに行く事になって、最後は彼のおごりで楽しく酒を飲んだという話。

音楽が漂う街。何時か行ってみたい!


最近は家に帰るとギターでchanchanを弾くのが日課デス。コンパイセグンドもいいけど、こっちのブルースハープも好きです。





バーベキュー

学生の頃の友人たちと大房岬でバーベキューを楽しみました。
主婦になっていたり、ばらばらの仕事をしていながらも10人以上の仲間で集まれることがウレシイ!

誰が持って行くと言ったわけではないのに、ウクレレやギターを持ってくる。そんな感じ。

また、木立の向うに海を見ながらみんなで楽しくやりましょう。

2011年11月18日金曜日

あいさつ

このあいだ本で読んだ話です。

都会に近い環境で生まれ育った人が、仕事の関係でとある漁師町に住むことになりました。初めのうちは長い間過ごしてきた匿名性の高い都会の性分が抜けず、人に話しかけるのも話しかけられるのもいやだったそうです。

しかし、田舎の漁師町には気兼ねなく立ち話の声をかけてくるおばさんが当たり前にいました。
やはり自分の住んだ周りにもそんなような人はいて、最初のうちはどうも苦手な場面に出くわすことが多かったようです。

数年間経って、その町からまた都会に引っ越す頃には、すっかり自分から話しかけることを楽しめるようになりました。

再びの都会の暮らしで気になったことは、すれ違う人が目を合わせないこと。あいさつをしないこと。
今やこれもごく当たり前の光景かも知れませんが、その人はそれに小さな疑問を抱いたそうです。

ある日、その人は「一人あいさつ運動」なるものをはじめました。その内容は、いつも通る道ですれ違う人にあいさつをすること。ドキドキしながらのあいさつは、やはり返してくれるどころか、目をあわさずに足早に通り過ぎる人ばかり。

この運動にもほとほと疲れてしまったので、その人は今までしていたあいさつを止めました。

静かに歩く日が数日続きました。

ある日同じように歩いていると、ある人がその人に「おはようございます」と声をかけてきたという話。





2011年11月14日月曜日

波待ち


今日は季節はずれの温かい陽気だったので、豊岡海岸の川べりに寝そべって遊びました。

2011年10月24日月曜日

鉄の家



豊橋にあるコルゲートハウス「鉄の家」に行ってきた。
数年前に立ち読みした雑誌で見たこの家の造形が印象的で、たまに思い出したりすることがあった。
しかし今年になって明星ライブラリーさんから鉄の家が豊橋に存在していることや、この家を作った故・川合健二氏の考えていたことなどを教えてもらい、訪れるチャンスをうかがっていたところだった。

独学、オンリーワンの経歴をもった生前の彼が、新エネルギーや自給のあり方といったテーマにたどり着き、理想的な住まいのあり方を体現したのがこの家なのだという。
木々の中ではひょっとして異物に見えるのかなと思っていたが、そんなことは無くて地面からはえた生き物のような気がした。



個人としてよりよく生きるための、常識を疑う前向きな姿勢が突き抜けて、社会や環境、人間のあり方というテーマにぶちあたる。木の葉の音に囲まれながら、バックミンスターフラーや前に行ったイームズオフィスのことをかさねて思い出した。



今日、名古屋のリトルプレス「棲」の5号が届いた。故・川合健二氏のことや、他のコルゲートハウスのことも触れられています。興味のある方は是非読んでみてください。

最後に「棲」より抜粋
「川合健二の声が聞こえる。自分の頭で考えよう。自分の足で歩こう。自分で自分を育ててゆこう。それこそが、人生の喜びであり、究極の目標である。」

2011年10月14日金曜日

波に花

数日前、富浦の海岸を散歩した。
小さな港の隅っこで、赤いカーネーションの花がちゃぷちゃぷと波に遊ばれていた。
小学校の頃、カーネーションが植えられた温室が立ち並ぶところで鬼ごっこをしたりBB弾の銃撃戦なるのもをよくやったなぁと水面を見ていたら遠くのほうから子供の遊ぶ声が聞こえた。

江比間の大松

明星ライブラリーに向かう途中、再び江比間の旧道にある大きな松を見に行ってきた。
この前はじめて見た時より枝の近くまで顔を近づけたら、大きな腕に小突かれたような錯覚を覚えた。
やっぱり、愛すべき化け物だった。

2011年10月11日火曜日

甘党 トキワ



前を通るたび気になっていた豊橋の「トキワ」に行った。
この街では古くからやっているこの店の味に懐かしさを感じる人も多いという。
僕たちがテーブルでかき氷を食べている間、自転車で散歩の途中に寄っていく親子から、街歩きをしている風の人までいろんな人が次々と暖簾をくぐってきた。あおいTシャツが良く似合うおじさんはお客さんが引いた時は静かに高校野球を見ながら座りなれた椅子にいて、注文がくると実にキビキビと品をこしらえお客さんに手渡した。
かき氷の金時は濃くてやさしい味がした。名物大判焼はこの餡が入っているのかもしれないと思うとやっぱり食べてみたい。大判焼は秋になってからやるというので、また豊橋に行く楽しみが増えた。
お代を払う所の横には手書きで「手作りの甘味を守る」と書いてあった。

2011年9月16日金曜日

寺下通りタイムツアー


豊橋鉄道渥美線、田原駅の裏手には寺が軒を連ねていて、その前の道は「寺下通り」と呼ばれている。
この通りは車の速度よりも歩きの速度のほうが断然おもしろい。
クルマの走る道は別にあるので、今やこの通りは地域の人が使う程度のいわゆる旧道。この通りの魅力はひと昔前の建物の風景と界隈的な情緒にあるけれど、ゆっくり歩いてみると実は風景に歴史が凝縮されていることに気づいた。
通りの入り口には小さな古墳と石仏群をもつ寺がある。古墳の中は覗けるようになっていて、頭を突っ込むと豪族がいた中世にタイムスリップした気になる。頭を抜いて通りに戻ると、かつての城下町の入り口だった坂がある。江戸時代には渡辺崋山が家老をつとめた田原は、城下町としても栄えた土地。そこから少し歩くと松雄芭蕉の句碑のある寺がある。江戸から戻って歩き出すと、路地の隙間から大きな宇宙船のような建物が光っていた。いきなり未来?と驚いたが、よく見ると何かの工場。ついに工業化社会までやってきた。工場の向うからは渥美線の音が聞こえていて、今日の人が動いている。
ほんの100メートルちょっとをゆっくりと歩いているのに、風景として時代が次から次へと立ち上がってくる。
時間の感覚がちょっとねじれる感じが心地よい通り。夕暮れになってきたら、猫があくびしながら長い影を落とす。

2011年9月4日日曜日

夏のはじめにおろしたビーチサンダルは2・3日して鼻緒の部分が赤くなって痛くなる。ビーチサンダルを履く時は休日に外に出る時か、普段クルマに乗るときなのでそうすぐに慣れるわけではない。
ビーチサンダルが足に馴染むまでの間には、ちょっとした焦りがある。
「早く慣れなきゃ夏が終わってしまう。」というやつ。
台風が落ち着いたので、夕涼みに子供を抱えて散歩をした。足元の鼻緒の部分を見ると、痛かったところもすっかりなおっていてビーチサンダルは足に馴染んでいるけれど、一方吹いてくる風はもう夏を越えていそうな涼しさだった。

2011年8月30日火曜日

太海のこと

毎朝車で、清清しい空気の太海の町中を通る。
この町で生まれ育った地元の友人の家に遊びに行ったとき、真夜中に浜でキャンバスを広げている人がいた。こんな暗闇で何を描くのかなと思ったのがとても印象的だった。
つげ義春や安井曾太郎の作品がここをテーマに描かれていることもあるし、もしかしたらフラッと訪れただけの人でさえ「絵でも描いてみるか」なんて思うかもしれない。

車を置いて路地を歩くと、ここには人の心情に訴えかける何かがあると実感する。
この前の早朝、ひとりで太海を散歩した時は、ちょうど台風のうねりが重なって激しい波が打ち寄せていた。友人と遊ぶ時はいつも凪いだ時ばかりだったので、初めての景色のなかに身を置くことになった。力強い波が身近な風景に気を配る隙を与えなかったせいか、前から気になっていた事を強く感じた。とっても感覚的なことだけど、ここには太古からの海に向かって発せられた人の思いが集積しているような気がする。そしてそれは、いたるところから立ちのぼって波しぶきと溶け合い、また土やとんがった岩に沈殿していく。なんかそんな気がする。

2011年8月14日日曜日

朝がやってくる

朝がやってくるような、あるいは朝に突入していくような体感。

それなぁーに。


息を吸っても吐いてもきれいな音を奏でることの出来るハーモニカは、憎めない楽器。このところ子供を抱っこしながら、小さい音で口にくわえたハーモニカを吹く「ハモニカあやし」なるものをよくやるようになった。何日か前もそれをやっていたら、周りをハイハイして遊んでいた友人の子供たちが音を聞くやいなや、ぴたっと止まり、まぁるい目と口をしてこちらを見ていた。うちの子もまた、腕の中でおんなじ様な顔をしていた。
三人の赤ちゃんに同時に見られたのは初めてのことだったので、不思議そうにこちらを見るまなざしにちょっとびっくりしてしまった。


2011年7月31日日曜日

聞こえていなかった音

小雨が降るいつもの山道を走っていると、小さい波の音が聞こえてきた。それは何かの拍子で大きくなったか、自分の耳がたまたまとらえたという感じで、気づいたらそこにあったと言うような聞こえ方だった。心地よい音だったので、山の中で聞こえることに疑問を覚えたのは一分くらい経ったころだった。

ラジオは小さな音でオンになっていたけれど、この山道ではラジオは聞こえない。少し走ると、波音の理由はすぐ近くにあったことに気づいた。スピーカーから聞こえる波音のタイミングと一緒に、古くなったワイパーがゆっくり動いていた。

2011年7月10日日曜日

待ちわびて



「身体の成長につれて寸法が合わなくなり、手狭となった我が家です。どなたかいい物件を紹介してくれませんか?消化に5日はかかりますね。」

2011年6月16日木曜日

ばけもの



渥美半島の田原市街から国道259を西に向かって走ると、やがて右手に三河湾が見え、左手に山が迫る。道はそのまま海岸と並行して伸びている。この国道からの眺望も魅力的なのだけど、国道の下にある旧道は、さらに印象的だった。

旧道沿いには、ある程度の樹齢の松の木が点々と残っていて、松葉のずっと向こうには蒲郡の街が見えていた。
大抵のクルマは頭の上の国道をびゅんびゅんと走るから、こちらは静かで、鳥の声が聞こえている。窓を開け静かにこの旧道を走ると、陽だまりの三河湾を独り占め出来たような気分になった。
前にカリフォルニア、モントレーの17マイルドライブを走った時のことを思い出した。

ゆったりとした時間の流れる旧道の後半に差し掛かると、化け物のような松の木が、大きく腕を広げ、まるでブンブンと回旋しているかのような通せんぼをしてきた。この木は群を抜いてでかい。クルマを停めておそるおそる近づくと、まるで自分も周りの草も彼の回旋の風に煽られているような気分になった。

この旧道の隅っこには、かつて戦争のために敷かれた鉄道の杭が残されている。鉄道が走っていた時もこの松は、ここにいただろう。彼は、力強い時代の生き証人だ。

去り際見つけた案内板には「市内最大級の松」と書いてあった。また、彼に会いに行きたい。

2011年5月28日土曜日

道端と星空



この前の夕方は久しぶりにぼんやりとギターを弾いて過ごした。

部屋を出て少し歩くと浜辺に小さい畑がある。
そこは幼馴染の家の畑で、いつもそこにいるのは彼のおばあちゃんだ。

久しぶりにおばあちゃんと話をした。話題はひ孫のことや僕の小さい頃の話。

その夜は幼馴染と二人でさっきの畑の前に行き、お互いの子供の話なんかをした。
街灯が消えていた事もあって、空にはきれいな星が見えた。

2011年5月27日金曜日

市電ノスタルジア



ある陶芸家さんと東三河の豊橋という街について話をしていた時にこんな事を言っていた。
「夜の市電の明かりは、ゆっくり動いて、まるでそこだけがタイムスリップしているかのように見えるんだ。」

市電と共存した豊橋の路上に慣れていない僕のようなビジターは、ゆっくりと不意に現れる市電の気配に驚かされる時がある。

でもなぜかそれを許せてしまうのは、彼が腰の曲がったお年寄りにも似た穏やかな雰囲気を持っているからだろうか。

2011年4月29日金曜日

愛すべき



「さよなら」って言っているけれど、聞くほどに、涙くんへの親しみを感じます。
そういうところが大好きな曲です。

2011年4月27日水曜日

会話っていいな。



仕事から帰って家の駐車スペースにクルマを止めると、続けてお隣さんのクルマが止まった。
ライトを消して、お互いほぼ同時にクルマを降り「今日も一日お疲れ様でしたー。」と言う具合に、久しぶりに短い会話をした。

「おかげさまで無事に子が生まれました。」とお伝えすると、「実はうち、先週籍を入れたんです。」と返ってきた。「なぁんだお互いうれしい話題でよかったですね」なんて言っていたら、近くの家から赤ん坊の声が聞こえてきた。「ではおやすみなさーい」と言ってお隣さんと別れ、その後はご飯を食べ眠るまで、嬉しい気持ちだった。

2011年4月23日土曜日

今日と明日の間です。

布団に入って、呼吸が静かになりはじめたら、窓の向こうの田んぼから、カエル達の声が聞こえはじめました。
合唱までいかない、ささやくような心地よい響きです。

カエル達のとなりには、早めに植えられた稲が揺れているはず。
朝の出勤には水面にきれいな緑の苗がみれるでしょう。
昼間の木々には、沸騰しているような明るい枝先の新緑、空にはツバメたちがみえるでしょう。

観光に訪れる方の車も、少ないながらきっと走っているでしょう。

今日みた景色と、明日の景色を静かに想像しています。
郷土という、文字が浮かんで来ました。

2011年4月7日木曜日

見つけたぞ。



どれだけ遠くに離れても目に見えない脅威に対して、拭い去れない気持ちがあるとしたら、どうだろう。

ほんとに安全な避難場所は一体どこにあるのか。
きっとそれは自分の心の中にしかない「安心」という状態だとおもう。

昨日、隣町の川原を歩いきながら路地に咲く花を見ていたら、そんな気がしてきた。

「僕らはみんな、生きていく。生きていくから楽しいんだ。」

2011年3月27日日曜日

サイカチの木



高校の頃、試験前によく通った館山図書館。勉強という名目だったけど、思い返せば関係ない本ばかりに手が伸びていた。

駅から図書館に向かう途中に、路上に堂々と幹を張る一本の木がある。ずいぶんと迫力のある胴回りなので、通るこちらがついついよけてしまうのだけれど、それにしても何でこんなに道にはみ出ているの?と疑問を抱きながらいつも前を通っていた。

その疑問の答えは、ある日図書館の本棚から見つかった。
本棚からとって読んだ本に書かれていたのは、大津波が館山を襲った時、この木によじ登った人が津波の難を逃れたというものだった。

本を読んだ日の帰り道、僕はこの木に一礼して帰った。
今日もサイカチの木は、災害の記憶を道行く人に伝え続ける。

僕の中の大津波

「江戸時代、ここにはいくつかの畑と墓地がある岬が海に突き出していて、その岬は、大地震によって海に沈んでいったんだ。だから海のそこには今もお墓があるんだよ。その後大きな津波が来て、今いるこの辺りは全部流されてしまったんだ。」

これは僕の実家の目の前の海に伝わる話。僕は、幼い頃から父や毎日決まって海辺に夕涼みに来る近所のおじいさんから、この話を聞かされて育った。そのせいか、地震というものを良くわかっていない時分から、その得体の知れなさや、とてつもなさみたいなものを想像していた。

2週間前、大津波が東北を襲い日本中にかつてない被害をもたらした。
いろいろな情報ソースはあれど、地震というのは、個人のレベルにおいて、いつ起きるかなんてわからないといっていいだろう。ある意味予測ばかりにとらわれては危ない面もあるかもしれない。

だからこそ、日常で語り継いでいかなくてはいけない。
伝承は、ある意味「緊急地震速報」よりも役に立つような気もする。
今、日本で起きていることを語り継いでいかなくちゃ。と思う。

2011年3月23日水曜日

そうだね。



人は基本的に、自身の感情を受けて、無意識的に行動を選び取っているのだと思う。
しかし、このところの災害はどうだろうか。

こころに痛みや恐れを抱きながらも明るく振舞う人や、絶望のふちに落ち込んでいる人、震災に対する心理的な距離を置き、平静を装う人など。

個々の、震災に対する認識と被災地との物理的な距離に比例する安心感みたなものが、あらゆる次元で入り組んで、人々の精神に影響を与え続けている。

ねじれた自身の感情に対して、前向きであろうとする意識的な声が、日本中に乱反射しているようだ。

乱反射に自分の音が飲み込まれるのはごめんだ。こういうときこそ、一本太い背骨を入れねば!

館山の海辺に建つ、中原淳一の詩碑の前であらためて、「今あるものへの感謝」と「前向きな意味での受容」、「明るく優しい、しなやかな世の中を作っていくこと」のたいせつさに気づかされた。

シビアな状況が、これからあらわになると思うけれど、乱反射の中で、これだけしっかり持っていればきっと大丈夫!

2011年3月12日土曜日

震災



僕は昨日、千葉市郊外で揺れを体験しました。
揺れ始めに建物から出て車に乗り込んだ直後、車体は数人の手によって故意に揺さぶられているかのような動きを続けました。震度は6弱。

その後、市原を通った時に、工業地帯から上がる煙が見えました。(写真)
夜にかけて爆発し燃え続けた石油の施設。身近なところにもこれだけのことが起きています。

半日以上たった今でも日本中でこの震災の被害は未だ「確認」され続けている一方で、新たに問題も生まれ続けています。

特に原発のことは、気をつけなければいけません。
今の僕たちだけでなく、次世代にも直結しているのです。

みなさん無事でありますように。

2011年3月8日火曜日

旅行と文章



旅行をしている間は、限られた時間の中で多くを感じとろうとする「旅人センサー」なるものが作動しているのではと思うことがあります。

「本」というのも、センサーに引っかかりやすいもので、その旅行の良し悪しに作用するニクイやつなのではないかと思います。

僕が旅行先で出会って嬉しいと思える本は、コンビニや書店で当たり前に並んでいるような類ではなくて、その場所やその店にしかないもの。あるいは訪れた土地に根をはった内容が描かれているものです。

旅行中は決して万人が楽しめることだけに触れたいわけではなく、自分の思い出を満たしてくれることや、家に帰ってからの日々のなかでじっくりと消化されていくようなこと。そんなものに触れたいと思います。

当たり前のことだけれど、旅行者として訪れる町にはそこに暮らす人がいるのです。
そこに愛着を持って暮らす人が綴った本のページからは、その土地への優しさみたいなものが湯気のように立ちのぼり、町をあたたかく覆っているような気分になります。昨年、黒磯でいい本に出会いました。写真は、黒磯のバールトタンにて。

僕らの作る「0470-」。房総のショップやカフェなどにも置いていただいています。ご旅行の時に見かけたら是非お手にとってみてください。

2011年3月2日水曜日

カレンダー



3月にはいったので、カレンダーのページを変えました。

今や、カレンダーは携帯電話や電子ガジェットに一つの機能として入っているので、それを使っている人のほうが多いのではないかと思います。僕自身、家にカレンダーをつるすことはこのところありませんでした。

昨年、僕たち「0470-」メンバーで作った2011年のカレンダーがあり、今年はこれを使っています。
カレンダーは携帯で見るのが普通だったけど、あったらあったで壁に目が行くものです。
それから、少し先の予定に丸をつけるのも楽しい。

今、カレンダーはゆっくりと子供の出産予定日までのカウントダウンという、とってもいい仕事をしてくれています。

どうせ壁にかけるのなら、華美でないけどたまに見たときにいい気分がするものがいいと思います。
僕にとっては身近な房総の景色が美しく切り取られているから、そんな意味でもお気に入りです。

カレンダーは目をやった時に少し先のことを考えるので、ほんの短い間ですが「空白の体感」みたいなものがあるのではないでしょうか。カレンダーもなかなか悪くないものです。

このカレンダーは、安房暮らしの研究所に置いてあります。ご興味のある方は購入も出来ます。

2011年2月27日日曜日

can coffee


今日、買い物に寄ったショッピングセンターでは、養護施設や学園施設を利用している人たちによって手作りされた物品を売る催しが行われていた。野菜や、味噌などの加工品、手芸などがそろい、買い物客でガヤガヤと賑わっていた。会場の端っこに掛けられていた何枚かの絵のなかに、ひときわ素敵な一枚があった。

この絵の説明には「作者は、ブルーが好きです。今回はブルーとブラウンを使い、缶コーヒーへの思いを表現しました」と書かれていた。

「アウトサイダーアート」という言葉があるけれど、僕はどうもこの言葉は好きになれない。インサイドもアウトサイドも無いと思うから。ただそこに素敵な絵を描く人がいるということがわかるだけで、僕は十分嬉しい。どんな人がこの絵を描いたかはわからないし、どういう意図で描いたかもわからない。僕が唯一わかるのはこの人は、缶コーヒーが好きということ。

繰り返される細かいコーヒーラベル?のリズムと、色のリズムの2種類が混ざって不思議な印象を与える。缶コーヒーという量産物を題材にしているところがウォーホールや、文字の羅列がバスキアを連想させる。だけれどこの絵は完全に描いた人の日常の積み重ねで、この人以外は描けない。そういうのもあって一目見たときにポップアート好きの心を刺激されてしまったのだと思う。

下の文字は、おそらくコーヒーを買ったのであろう、コンビニや、スーパーの名前が羅列されていた。 
やっぱりどことなく、ニューヨークっぽい。

山と人



だいじな事ってナンだろう?

2011年2月25日金曜日

ふつふつふつ



赤ん坊のいるお腹を見ていると、見えないところですごいちからが動いているんだなぁと感心してしまいます。
あたかも爆発のようにめまぐるしい成長が、こんなにも身近なところで行われていると思うと不思議な気分です。

いま僕の知っている人の中で、最もリアルタイムに自分自身に忠実な「いのちのちから」を発しているのは、我が子であろうと思います。世の中の「胎児」というものが秘めているちからをリアルに感じています。 

「これは、見習わないと!」 とすこし焦っています。笑

2011年2月16日水曜日

異国



古代と呼ばれる時代の歴史や文化について調べていたら、なんだか現在の異国に行きたい気分になった。
今のところ、海外へは一度の滞在でせいぜい2週間くらいしかないけど、ある一定の時間を過ごすと「あ、ついに来ちゃったな」という瞬間が毎度ある。そこの文化に包囲されているのを実感したような瞬間だ。到着した時に感じる瞬間的な感動と違って、ある程度そこの空気を吸ったり音を聞いたり、植生の違う草木を見たり、食べたりしてという過程を経て、感じるものなのかなと思う。

写真を整理してたら、前に訪れたマラガでのものが何枚か出てきた。
うしろのおっちゃんが変な顔してこっち見ていたっけなぁ。 笑

2011年2月13日日曜日

空に鳴ったアケビ



すこし前まで、山のアケビたちは渇いた木々の間にぶら下がっていた。
ツヤツヤとしてハリのあるアケビたちの姿は、木々の表情とは裏腹に躍動感があった。

アケビのツタは、木々に紛れていて遠くからは見えないから、林の表面にオレンジ色の粒たちが規則的とも不規則とも言えないように浮かんでいて、まるで音符のようだった。

風が吹いて林全体がざわめくと、枝と枝が擦れる音とアケビの音符がいっせいに鳴り出すように感じた。

昨日、車で二時間近く走り続けたので、コンビニの駐車場でシートを倒して寝転んだ。
そうしたら、窓越しに五線譜のような電線が見え、山のアケビたちの事を思い出した。

2011年2月8日火曜日

これでいいのだ。



今日、落ち込んでいる人がいた。
そんな日があったっていいよ。でも、僕らがすべき事は自分自身に絶対の信頼を持つことだと思う。

『ほんとうに生きようとする人間にとって、人生はまことに苦悩にみちている。』-岡本太郎

2011年2月6日日曜日

サッカーと音楽



小学校の頃は本当に朝から晩までサッカーをしていた。
試合も好きだったけど、勝ち負けよりも仲間とパスの呼吸が目配せでバッチリ合うことや、抜けるかどうかを賭けて、ドリブルで相手に向かっていく事に血が騒いでいたのを思い出す。

特に一人抜いて、体制を崩しながら次の相手に向かうときに感じるあの変拍子がなんともたまらなかった。
高校からギターを弾くようになり、音楽でいうところのグルーヴを感じ始めたときにフラッシュバックしたのは、かつてのドリブルで体験した変拍子だった。特にファンクやラテンの曲で本当に感性にヒットするもの聞くと今でもドリブルで抜く相手の背後にゴールが浮かぶことがある。

生前のボブ・マーリーは、サッカーを愛していたという。
きっと彼はボールと仲間が好きだった。それに彼のバンド・ウェイラーズのメンバーのバニーもサッカーを好む。ウェイラーズのタイトでノセるあの素晴らしい演奏は、バンドの中にサッカーの魂が住み着いているからではないかなと思える。

今日はボブの誕生日だ。動画を見ていたら、僕がウェイラーズを好きになった理由のひとつは、サッカーと音楽がつながっていたからなのかなぁなんて思えてきた。

2011年2月4日金曜日

嬉しい便り



今日友人から届いた封筒には、zineの他に、僕ら夫婦とこれから生まれる子供に向けてのメッセージが入っていた。
出来上がったzineを最初に見せたいからと、
わざわざ送ってくれたのだった。
彼とは先月4年ぶりに再会し、山登りをした。
zineには僕らが初めて会った沖縄の風景や、彼の住む幕張の街並み、身近な自然の風景と、短い文が書かれていた。このzineからは、思い出や目の前にあるものを大切にしていこうという姿勢、それから自分勝手で情にあつく、ちょっと人見知りだけれど、優しさのある彼の人柄が伝わってくる。

結びの文に書かれていること、それは誰もができる前向きなこと。
「誰にでも 大切にしたいものがある  僕にはまだ 掌で数えられるくらいしか無いかもしれないけど 地球上に住むすべての生命が その一つ一つを大切にすることが出来れば この世はもっと豊かになる。 そんな気がする。」

今月の26日、彼は横浜のギャラリーFLEXで写真を展示するという。

ありがとう!またたくさん話をしよう!

2011年1月29日土曜日

どこかで春が



フリーペーパー「0470-」の房総百景に、岩井のことを書いて以来僕は、詩人百田宗治を敬愛するようになりました。
これからも彼の世界を見ていたまなざしに惹かれ、彼の残した詩を読み返していくような気がします。
彼の作詞した名曲「どこかで春が」をボッサ風味でどうぞ。

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どこかで「春」が生れてる どこかで水がながれ出す

どこかで雲雀が啼いている どこかで芽の出る音がする

山の三月東風吹いて どこかで「春」がうまれてる
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2011年1月27日木曜日

夕日に見とれ続けている



森では一番の者が、南へ向かって行ったきり帰らないと言う話は多くの森に住むもの達に知られたことになっていた。

この話に一番興味を示したのは、森を囲む草原の王だった。いつもの様に獲物探しのために森のフチを歩いていると、木々の奥から興味深い話が聞こえてきた。「どうやらあいつは延々と光る水、海というのを見に行ったらしい。」

森で一番の者を魅了するそれを、草原の王が放っておく訳には行かなかった。
是非その「海」とやらを見てみようと、彼もまた、静かに歩みを始めた。

彼が進む道はおおよそ正しく、半島の中心あたりを南に進んでいた。
ある日の夕方、彼の右頬を西陽が染めた。木々を掻き分け、陽の指す方へ向かい、彼は岬になっていたその山の突端に出た。

遠くの空から岬の下に視線を落とすと、燃えるように赤い太陽が延々と水平線まで光る絨毯を水面に浮かべていた。「これが、海に違いない。」彼は確信した。

草原の王を迎え入れるかのようなその絨毯に見とれた彼は、此処こそ自分の居場所であると決めた。

2011年1月26日水曜日

寺下界隈



愛知県田原市にある「寺下通り」。何年か前に自転車でこの界隈を巡ったことがあった。

木造の古い民家や看板造りの商店、かつての遊郭らしき風情のある建物などがせせこましく並んでいて、路地全体に独特の時代感を醸し出していた。初めて訪れた土地勘のない僕にとって、そこはまるで時間のねじれた迷路のように感じられた。

日が暮れるごとにはっきり見えていた道端の風景は徐々にイメージの世界に変わっていき、暗さのせいか自転車のスピードは速くなった。街灯がつき始めた頃、小さい分岐の前でブレーキをかけて止まると、僕はあたかもタイムスリップしているような気になった。ここは人を歴史の一部に誘ってしまう界隈だ。

よく「町並みを保存しよう」という合言葉を聞くけれど、この界隈はそういった雰囲気は感じられなかった。理由は色々あると思うけれど、ただただ普通の姿がいつもの通り続いているんだろう。今、あの路地の風景はどうなっているだろう? 前の雰囲気をとどめているだろうか? 僕はそのままであって欲しいと思う。

2011年1月25日火曜日

0470- vol.2 房総百景の後記




今号の「房総百景」には内房の町岩井で生涯を閉じた詩人・百田宗治氏のことを書きました。
そして今日は、その号の発行日であると同時に、偶然にもの彼の誕生日でもありました。

高校の頃の僕にとって、岩井は自転車で40分もかけて行く遠くの隣町で、岩井の長い砂浜の端っこで、親しい友達と語らったり夏場には花火をしたりするのが楽しみでした。

元旦の早朝に僕は取材のためクルマで少し大人になった気分で岩井を訪れました。

彼の詩のひとつに「朝の時間」というのがあり、この詩からは彼が抱いていた、時間や人生に対しての愛情みたいなものを感じられます。どうせ岩井を歩くなら、彼が大事にしていた時間にと思い、はりきって早起きをしてみました。

紙面に書いたように、生前彼の住んでいたという家の前からは岩井の浜が見えるのだけれど、僕は遠くに花火をしている友人と僕が見えた気がしました。

房総百景を書くことによって、僕が今まで知らなかった出来事や、見えていなかった地域の姿に触れることができています。そしてなにより、この舞台は僕の地元であって僕の記憶もそこに積み重なっているのです。

2011年1月23日日曜日

みんなが街を作っている。



風景というのをあえて分けるならば、大雑把に自然的なものと人工的なものとに分けられると思う。
自然環境の営みがつくる、そこにしかない景色に感動を覚えることもあれば、街を歩いて目に入る景色にも、不意に感動を覚えることもある。

写真は何年か前、サンタバーバラに滞在した時に通りがかった映画館の軒先で写したもの。立ち止まって写っているおじさんを見上げると、なかなか作業が上手くいかない様子だった。やっぱり街の風景は無意識に生活する人の姿が重なっているんだと思う。

2011年1月19日水曜日

嬉しいメール

メールの着信音がなった。親しくしている地元のひとつ上の先輩から届いたメールだった。
手袋を取って開いた本文には、「無事に女の子が生まれました!」と書かれていた。しばらくして、送られてきた写メには、小さい布団から小さい手を出し、のんびりと寝ているかわいい横顔が写っていて、生まれでたことに安心しきっているかのように見えた。それからは一日ずっとあたたかくいい気分で過ごすことができた。

それにしても、誕生の知らせは何でこんなにうれしい気分になれるんだろう。この半島にまたひとり、赤ちゃんがふえたと思うと嬉しい。

2011年1月7日金曜日

今年はあらためて



前向きさを大事にしようと持ってまぁす。
それと、笑顔ね。 とにかくよく笑っちゃうこと!

那須からはじまった。



正月は、親友と那須へ。
春のような日差しがあふれる元日の朝、内房で0470の取材をした何時間か後には道端に雪の残る那須塩原の町を歩いた。
泊まった二期倶楽部で、翌日の黒磯ショーゾーで、会社を経営する友と思い出から事業や仕事、生き方など、尽きない話ができた。さらに前に進めそうな一年の幕開けになった。

もうすこしで僕も27歳。27歳は人にとって転機となりやすい歳だと思う。聞いたところによると人間の細胞は27年くらいでほぼ全てがいれ変わるのだとか。きっと、今年はいい年になる。

二期倶楽部はいい宿だった。夏にここで行われている、「山のシューレ」は、素晴らしい。こういうイベントをやるような那須の文化土壌や、オルタナティブな価値観を持つ事業や企業がホントに求められる時代なんだと思う!